7月1日

 昨日の夜中に日記を書いたあと眠れなくて、明るくなるまで本を読んだり6時間かけて作るトマトソーススパゲッティの動画を見たりしていた。夕方に家を出てコメダで作業をした。まだ続けたかったけどもう8時で閉店で、スーパーに寄って晩ご飯の材料を買った。といっても買ったのは塩鯖くらいで、それと昨日麻婆茄子を作るときに多めに作った肉味噌と卵黄をご飯に乗せたものがあればいいだろう。玉子豆腐も冷蔵庫にあったし。雨が降っていて、セブンイレブンの軒先で煙草を吸ってから帰った。気圧なのか気流なのか、ひょっとしたら湿度なのか吐いた煙が下に落ちる。鯖を焼いているあいだに冷凍ご飯と肉味噌を温めて玉子豆腐をパックから出して晩ご飯にした。

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6月30日

 ここのところシャワーだけで済ませていたが今日は湯船に浸かった。もう雨は止んでいて、かえって空気が湿って感じる。昼に散歩をしながら「やさぐれ方を忘れている」という言葉が思い浮かんだ。何かきっかけがあったのだがそれは忘れた。読書エッセイのようなものを頼まれていて、テーマも選書数も自由で、「○○ときに読む本」というタイトルだけがそのシリーズの決まりとしてある。そうは言っても読む本はそれが読みたいから読むことばかりのような気がするし、その外側にある気分みたいなものはあんまり考えたことがない。デカルトが読みたかったらデカルトを読むし、料理本が読みたかったら本屋で料理本の棚に行くし、と思っていた。紹介したい本ありきでタイトルを考えることになりそうだなと。でも「やさぐれ方を忘れたときに読む本」はいいかもしれない。たしかに忘れているような気がする。僕個人の境遇や心性の変化もあるだろうけど、これはコロナ禍(に代表されている社会の変化)が奪っていったもののひとつかもしれない。でも17歳だか20歳だかのひとたちはいまも立派にやさぐれているのかもしれない。夜中に音楽を聴きながらひたすら街を歩いたり、望みの薄い相手にえいやと通話したいとメールしたりして。書いていたらまた雨が降ってきた。問題はやさぐれ方を忘れたときに何を読むのかということだ。

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