8月23日

 初めて会う編集者に関内まで来てもらって喫茶店で打ち合わせ、というか、何をやるかも決まっていないのでとりあえずばらばらと雑談して、3時間くらい話した。こんなに長く仕事の話をしたのが久しぶりですっかり疲れてしまったので帰ってしばらく寝ていた。起きたときに、ここ5年くらいで僕のテーマは「第三者性なきフェアネス」から「ふたりでいるのにひとりになるための第三者性」に変わってきたんだろうとふと思ってそうメモした。自立した個人がそのつどの他者と、第三者的な構造から離れてそのつどのフェアな関係を結ぶというユートピア的でポリアモリー的なものへの諦めがどこかで起こったのだと思う。でも第三者って、ある関係を「先輩後輩」とか「恋人」とか「家族」とかそういうかたちで社会化して固定するだけじゃなくて、こうして煙草やコーヒーがテーブルにあるみたいに、ふたりでいながらひとりになるきっかけを与えるものでもあるじゃないですか、それをとりあえず「デコイ」とかって言ってるんですけど、という話をした。たぶん家族であることすらデコイになるし、こういう筋の立てかたのいいところは、理念めいたものを追求しなくても見方を変えればそこらじゅうで起こっていることだということだ。よくないところは現状追認だと思われてしまうところで、でも言葉で何かを変えるということはそういうことだと思う。それが結果として論文になるかアジテーションになるかということは二次的なことだ。

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カテゴリー: 日記