11月7日

こないだ買ったヴァージニア・ウルフの『フラッシュ——或る伝記』を読んでいる。フラッシュはFlashではなくFlushで、つまり光のまたたきではなくウォシュレットのボタンに書いてあるほうの単語であり、顔の紅潮を意味する言葉でもある。新書サイズの白水Uブックスを読むのがたいへん久しぶりで懐かしい。このレーベルで印象に残っているのはマンディアルグの『狼の太陽』という短編集で、ウルフ(WolfではなくWoolfだが)で狼で、しかもフラッシュは犬の名前なので何か犬的な星まわりにあるのかもしれない。『フラッシュ』はエリザベス・バレット・ブラウニングという19世紀中葉の詩人の飼い犬となったフラッシュの伝記で、生き生きとした描写や犬の目を通して語られるヴィクトリア朝のロンドン、病弱な詩人との繊細な交流はディズニーに映画化してほしくなるような伸びやかさをたたえている。ウルフで犬と言えば僕は『千のプラトー』でいつもどおりドゥルーズ゠ガタリが引用元も示さず引いている「やせ犬が道路を走っている。このやせ犬は道路だ」というウルフに帰せられている一節を思い出す。この本を手に取ったのはそれがどこかに見つかるかもしれないと思ったからでもあるが、ぜんぶ読んでいないのでまだわからないし、そういうのを抜きにして読んでいて楽しい。エリザベスとフラッシュが出会う場面を引用して終わろう。

「どちらも驚いた。バレット嬢の顔の両側には、重そうな巻毛が垂れている。大きないきいきした眼が輝いている。大きな口もとがほころんでいる。フラッシュの顔の両側には、重そうな耳が垂れている。彼の眼も、大きく、いきいきしているし、口は大きい。彼らの間には、似通ったところがある。お互いをじっと見つめ合っていると、どちらもこう感じた。「おや、わたしがいる」——それから、めいめいが感じた、「でも、なんてちがっているのだろう!」」

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カテゴリー: 日記