日記の続き#7

煙草をだいたい1日1箱のペースで吸っていて、最寄りのコンビニに煙草を買いに出るのがひとつの区切りになっている。でもだいたいなので時間帯はずれ込んでいくし、煙草を買って1日が始まったり終わったりするわけでもなく、煙草の切れ目は煙草の切れ目で、そのどこにも行かなさが好きなのだと思う。それは純粋に、しだいに薄くなる箱とともにある喫煙者たる僕にとっての1日であって、暦とか社会生活とか、寝たり起きたりとか、そういうものとは関係ないのだ。とはいえそれはたんなるクローズドサーキットかと言うとそんなことはなくて、その回路はコンビニとくっついているし、iPhoneのSuicaの残高とくっついているし、まずもってビックのライターのオイルとくっついている。そこには自閉性と脱中心性の奇妙なバランスがあるのだ。少なくとも今のところは。自立とは依存先を増やすことなのだという熊谷晋一郎の有名な言葉があるが、それをもじって言えば依存とは自律先を増やすことでもある。酒に依存するのも、猫に依存するのも、悪い恋人に依存するのも、それなりに自律した回路がそこここで営まれるなら、自立なんて言わずに済むかもしれない。いくつかの自律的依存とその回路の擦過のなかで寝起きする私。