日記の続き#25

雨。しばらく前に暑い日が続いたとき、彼女が冬服をしまっていてまた寒くなるよと言ったのだが聞かず、結局また冬の部屋着を出して着ている。

日記についての理論的考察
ひとくちに日記と言ってもそのかたちは様々なので、ここでは僕が書いてきた日記が従っている(1)毎日書く(2)書いたらそのつど公開するというふたつの条件を満たしているものを対象として想定する。これら以外にも僕の日記の規則はあるだろうし、これらを満たしていない日記にもこの考察が寄与するところもあると思うが、とりあえずこのふたつを大枠とする。実際僕の日記の輪郭を形式面から規定する要因としてはこのふたつがいちばん大きいと思う。毎日書くという縛りがなければ書かないようなことを書いているし、今日はよく書けなかったなと思うと投稿ボタンを押すのに気が重くなる。
まず毎日書くということについて。ふたつの極端なケースを想像してみよう。書くことを作るために1日を無理やりイベントで埋め尽くすというケースと、1日中日記を書く以外のことをしないというケースだ。いずれも病的な感じがするが、僕は1年間日記を書いていてこの狂気のリアリティをうっすらと感じていた。気づけば日記のことが頭の片隅にあるということ自体が、この狂気の片鱗に触れていることを示しているだろう。一方で僕は日記に書くことを探し続け、他方で頭のなかでは何かがつねに推敲されている。ともすれば日々から日記の外部がなくなってしまうのだ。(次回へ続く)