日記の続き#40

日記についての理論的考察§6 (前回まで
ここ3回くらい「イベントレスネス」の話をしようとその入り口を探して周囲をぐるぐるしているような気がする。これは論文っぽい文章でもそうだが、たいてい外堀から埋めようとすると難しくなってしまうのだ。ひとっ飛びに真ん中に降り立ってどっちに歩くか考えたほうが結果的にスムーズに書ける。あなたはつねにすでに森の中にいて、それをまずは外から眺めてみようというのはある意味で傲慢なことだ。日記も同じで……と言い始めるとまた話が逸れてしまうので本題に入ろう。そもそもイベントレスネスという言葉を作ったのは、イベントへの衝迫のなかで日記を書いているとどんどんキツくなるのに対して、今日は何もなかったなあという日に限っていい日記が書けたりするという経験があったからだ。ここで「いい日記」というのは、それを書こうと思った瞬間にすべてが解決するような、スナップ写真的なよさのことだ。日々はスタジオではないので、照明を動かしたり背景を変えたり、モデルの周りをぐるぐると歩き回ったりはできない。写真と違うのは日記は思い出しながら書くということだが、その観点から言うといい日記を呼ぶイベントレスネス——イベントが「少ない」ということに加えてイベントが「小さい」という意味をもたせることにしよう。今思いついたのだが——とは、明日には忘れてしまいそうなことを書くということを含んでいると思う。まずはエディタを開いて、今日は何にもなかったなあと言ってみてほしい。