日記の続き#48

日記についての理論的考察§8各回一覧
イベントレスネス/イベントフルネスの話はいったん区切りがついたことにして仕切りなおし。イベントレスネスが日記の内容面での具体的な条件(カントにとって超越論的なものはそこから論理的に演繹される可能な経験の条件で、ドゥルーズにとってそれは論理的なオプションの格子を食い破る実在的な経験の条件として捉えなおされるべきものであった。この違いはちょうど、イベントフルな日記の抽象性とイベントレスな日記の具体性に対応する)だとすれば、それに対応する形式面の条件はプレーンテクストだと思う。僕はこの言葉をメタテクストとの対比で使っている。情報理論の用語で「メタデータ」とは文字や画像のデータがいつどこで誰によって作られたものか記されたものを指すが、これを敷衍して、あったことや思ったことを書いたものをプレーンテクスト、それを書く意味や外在的な状況を記したものをメタテクストと呼んでいる。これは相対的な概念で、たとえば本のタイトルは本文に対するメタテクストだが、本の本文のうちにも主題を宣言したりその意義を説明するメタテクスト的なものが含まれる。実体としては底も天井もないが、メタに向かうかプレーンに向かうかという傾向はある程度腑分けすることができる。長くなりそうなのでまた次回。