日記の続き#50

これがどれくらいの人に当てはまるのか分からないので、漠然と「物書き」ということにしておくが、物書きというものは、何をするにもたくさんの言葉がつきまとってくる苦しみのなかにいるものだと思う。批評家、研究者、エッセイスト、小説家等々とそれぞれ最終的にアウトプットされる文章のジャンルによってその内容の傾向も多少異なるだろうが、少なくとも僕はつねに前後左右に2000字ずつくらい引きずりながら生きていて、そのあいだでスクランブル交差点みたいになった頭のなかで何だか分からないまま何かを推敲しているという感じがある。一挙手一投足とは言わないまでも、ある程度の幅のもとでの最近の考え、やりたいこと、あるいはやってきたことについてさあ書けと言われたらすぐ2000字くらい書けるし、30分喋れと言われれば喋れるだろう。やはりこれがどれくらいの人に当てはまるのか分からないけど、結構多いんじゃないかという気もするし、同時にこれは異常なことだと思う。そうじゃない人と話すときに変に思われないようにするのも難しい。相槌が単調になるし、簡単な受け答えに時間がかかる。(2021年9月5日)