日記の続き#53

2日ぶん作ったバッファを早速1日消費して、今は5月29日の午前2時18分。これから寝て起きて、予約投稿機能を使ってこれを夜10時くらいに投稿することになる(ツイッターでの更新通知まで自動化されている)。今日は珈琲館で月末が締切のエッセイを書いた。中学生向けの本に収録されるもので、それだけでも僕にとっては結構なチャレンジなのだが、そのうえテーマが「平和」だ。中学生も平和論もぜんぜん僕に関係ないぞと思ったのだけど、どうやら20代の書き手を集めるという縛りまであるらしく、そうなるとたしかに思想・批評畑で人を見つけるのも大変だろうと思って引き受けることにした(僕は6月で30歳になっちゃいますよと言ったのだが、 92年生まれならセーフらしい。どこまでも狭いのかユルいのかわからない企画だ)。なんか変で面白そうだし。依頼をもらってからずっと頭の片隅でアイデアがぐるぐると回っていて、当然企画の念頭にあるのはウクライナでの戦争なわけだけど、べつに僕が言うことはなんにもないし、ましてや自分の半分くらいの年齢の人間を焚きつけるのは嫌だしと考えていた。それで数日前に、ホーソーンの「ウェイクフィールド」みたいに何か世界のエアポケットに入って、戦争でもコロナでもいいが、そういう世界的な大事件が起こっていることをまったく知らない人の存在をどう擁護するかというテーマで書こうと思いついた。僕らと同じように暮らしている普通の人だが、そういう情報を奇跡的に素通りしてしまっている人がいるとして、その人に今は戦争だコロナ禍だと教えることははたして善なのか。テーマは決まったが入り口が定まらない。僕がよくやる、突飛な概念図式をまず見せてから話を始めることが文章の性質上できないのだ。それで結局小説みたいな対話篇みたいな変な文章になった。読みやすくしようとして変な文章になるのは面白い。引き受けてみてよかった。タイトルは「100パーセントの無知な男の子に出会う可能性について」。