日記の続き#58

ツイッターで流れてきた(真面目なほうの)スポーツ誌『Number』の記事を開いてみる。棋士のインタビュー。内容より記者の手つきのほうが気になった。こういう作り方の記事は人文系、美術系の媒体ではぜんぜん見ない。インタビューというより取材ルポのような書き方で、取材に至った経緯、相手の様子の描写、記者の心情のなかにときおり相手の発言が鉤括弧で括られて挿入される。『眼がスクリーンになるとき』を出したときに朝日新聞にインタビューを受けて、それが記事になったときに感じた驚きを思い出した。文脈の設定、直接話法と間接話法の使い分け、そこに加えられる注釈や考察。ほとんど哲学の論文の書き方と同じだと思った。われわれもテーマを提示し、文脈を抑え、直接話法で言質を取りつつそれを間接話法にスライドさせ、注釈し図式化し、もとのテクストから新しい相貌を引き出す。いわゆるドゥルーズの「自由間接話法」的なスタイルはこれらの各ステップの段差を極端に圧縮し滑らかにしたもので、どこまでが引用でどこからが介入なのか読者は容易に解凍できない。でも生身の人間を相手にこういうことをするのは全く別種の難しさもあるんだろう。ちょっとやってみたいけど取材したい人が思い浮かばない。(2021年6月8日)