日記の続き#63

また1週間が過ぎて京都の日。正午。また明け方まで寝られず寝坊してしまい、いつもより1時間遅い新幹線に乗っている。英國屋をスキップすればじゅうぶん間に合うと考えてからシャワーを浴びた。今日は京都についてからひと息つく時間もないし、彼女の水筒を借りてコーヒーを入れていくことにした。僕は飲み物が好きで始終なにか飲んでいるのだが、移動中にカフェや自販機を探してやきもきするのも面倒だなと思ったからだ。新幹線のコーヒーも不味くはないけど、あのちっちゃいテーブルでちっちゃくなりながらちっちゃいゴミの行方を気にしつつ砂糖を入れたりするのが嫌だ。だいたい京都の行き帰りだけで4回くらい何かしらの飲み物を買う。それが水筒ひとつで済むんならそれに越したことはない、というようなことを、シャワーを浴びながら考えていて、それは計画であると同時にこの文章の推敲であった。なんだか頭が日記に過剰適応し始めているのか、暗算ならぬ暗筆できるワーキングメモリが増えた気がするのだが、そのせいで頭のなかで時間が混線する。
帰りの新幹線。夜10時前。ひかりに乗ると空いていていい。のぞみより20分多くかかるだけだし。いつか新幹線の名前を考える夢を見て、「薄荷」にしようと言ったのを思えている。壁に貼られた広告に「奈良は、行くからおもしろい。」とあってどこもそうやろと思った。ぜんぜん来ないことに拗ねているのか、京都は実際行ったらおもしろくないという当てつけなのか。結局水筒のコーヒーは飲み切って、大学では最近気に入っている無糖の午後の紅茶を飲んで、ペットボトルの水を買って新幹線に乗って、まだぜんぜん飲み切っていないのに車内販売のコーヒーを買って、ちっちゃいテーブルでちっちゃくなりながらちっちゃい砂糖を入れて水筒に移して、渡されたちっちゃいゴミ袋にゴミをまとめた。