日記についての理論的考察§12 (各回一覧)
以下、今日のいくつかのツイートより。
『日記〈私家版〉』、BOOTHの在庫は残り20冊ほどです。あとは以下の書店で販売されている在庫のみとなります。
日記屋 月日(下北沢)
本屋 B&B (下北沢)
ジュンク堂書店池袋本店
ブックファースト新宿店
とらきつね (福岡市)←New!
(16:59)
日記をそのまま収録しただけの、3200円もする変な形の本が365部売れるのかというのは (僕のなけなしの貯金にとっても)かなりのギャンブルであり社会実習であり市場調査だった。それで何が得られたのかはまだよくわからないが。
(17:07)
大げさに言うと、自分はこの世界を信じてよいのかというテストだったのかもしれない。答えはオーケーということなのだろうけど、これは僕自身が1年間積み立てた信用があってのことでもあり、ギャンブル用語でいう「握り」がさしあたり成立したということなのだろう。
(17:16)
日記の執筆やサイトの日記掲示板、そして『日記〈私家版〉』の刊行を通じて思うのは、日記には非コミュニカティブな信頼関係を築く力があるんじゃないかということ。
(17:37)
「ひとごととして眺める」ことにポジティブな意味を見出すのは、いまの社会にとってとても大事なことなのかもしれない。ある時期から「自分ごととして」という言葉を頻繁に聞くようになって、ずっと違和感があった。日記はどこまでもあられもなく「ひとごと」だ。
(17:45)
自分のことしか考えない→他人のことを自分ごととして考える→他人のことを他人のこととして考えるというステップがあるとして、ふたつめからみっつめへのジャンプはかなりタフだ。まさに村上春樹のいう「タフネス」はそういうことだと思う。
(18:08)