日記の続き#71

6月15日午後9時。京都から横浜に戻る新幹線車内。非常勤先で6つの研究発表を聴き、5つに質問・コメントをして脳が疲れた。と言ったものの、僕は脳が疲れるということにはなかば懐疑的で、耳と側頭部と胸骨・胸郭を掌底でぐりぐりと骨から皮膚を引き剥がすようにマッサージするとそれだけでかなりスッキリする。でもこのスッキリもシャキッとするということではなく無意識の強張りがほどけてリラックスするという感じで眠くもなるので、やはり脳が疲れているのかもしれない。脳に疲労が存在するとして、それは筋疲労とどう違うのだろうか。脳と言えば、僕は物心がつくと同時にその柔らかい頭に「脳がスポンジ状になる」という狂牛病問題の報道が飛び込んできたトラウマを抱えた世代の人間だ。

というところまで書いてやめて、帰って寝て起きて翌日の午後3時。珈琲館。なんで狂牛病の話なんかしようとしていたのか思い出せないが、ともかく僕が8歳くらいから中学くらいまで、つまり2000年から2008年くらいまでの時期は、やたら食品関連の事故や不祥事のニュースが多かった気がする。狂牛病、段ボール餃子、不二家、雪印、ミートホープ、船場吉兆、生レバーの販売禁止。大人になるともう世界には不味いものがなくなっていた。こないだセブンイレブンでパテ・ド・カンパーニュのバゲットサンドが350円で売られていて驚愕した。パテとピクルスと粒マスタードだけの、それぞれの角を取って媚びるようなソースもない素朴でおいしいサンドイッチだ。こういうのは僕が子供の頃、小林聡美が主演する恐ろしく退屈な映画でしか見たことがなかった。それにしてもあの『かもめ食堂』に始まる一連の退屈な映画はなんだったのか。あの退屈はなんだったのか。観光地で帆布のバッグを買うおばさんの退屈だ。食品偽造と『かもめ食堂』的な退屈とスポンジ状の脳のゼロ年代。僕のなかでそれらはずっとわだかまっている。