日記の続き#96

8時から1時までひふみさんと多賀宮さんとやっているオンライン自主ゼミがあって、それからあらかじめ作っておいた(偉い)晩ご飯を食べて、コーヒーを入れて日記を書いている。もう2時前。ご飯は冷たい豚しゃぶのサラダと豆腐とワカメの味噌汁だったのだが、いつも使っている鰹やら何やらの粉末が入っている出汁パックがなくて昆布で味噌汁を作って、これはこれで軽くていいなと思った。これはおとついのことなのだけど、こないだ買った淡水パールとカラフルなビーズのブレスレットを着けて出かけていて、それを駅のトイレに入るときに落としたことに気づいておらず、出るときに見つけて拾った。とても気に入っているのでなくさずに済んでほっとしたのだが、同時に、拾ってからそのブレスレットが何か不気味なものに思えてきた。これはどういう気持ちなんだろう。出口で床に落ちているそれが目に入ったときそれは「床に落ちている何か」であり、そのしみったれた「何か」の感じが、拾った今もこびりついているかのようだ。そのしみったれた感じはトイレの床が汚いとかそういうことではなく(厳密にはトイレの手前だったし)、むしろ入口と出口が同じだからこそ発見し得たという事実に起因しているように思われる。そしてそれはいちど裸の「モノ」として眺めたから不気味だということでもおそらくなく、むしろそれが自分を待っていたかのようであったことが不気味なのだと思う。