日記の続き#104

1ヶ月以上苦戦していた博論本第三章のリライトにやっと目処がついた。とくに博論執筆時から処理に困っていた節があって、そこはもう合計5回くらい書きなおしているのだけど、今回でやっとしっくりくる形になってよかった。書きなおしは知的な作業であるよりテクストや過去頑張った自分に寄りかかろうとする惰性を克服する精神的な修練に近い。実際、既出の文章を集めた側面はあるとはいえ実質的には4ヶ月くらいで終わった博論の執筆よりなんだかキツいことをやっている感じがする。僕の傾向として、当の文章で扱っている問題の構造に沿って書くのではなくそのために扱っているテクストの叙述の継起にしたがって書いてしまうことがある。それは「だってこう書いてあるんだからそれを説明しないとダメでしょ」という甘えでもあり、『眼がスクリーンになるとき』は全体の構成が論じるトピックの並べ替えと直結していたのでそれでいけたという成功体験へのしがみつきでもある。自分で言うのも変だが、こういうのを捨てるってとても大変なことなのだ。今回のリライトでまた新しい書き方を作れている手応えはあるが、これもまた捨てなきゃいけなくなるのだろう。