日記の続き#128

八月の30年——11歳

団地から一軒家に引っ越す。隣の学区に移ったが、すでに6年生の3学期だったので転校せずに車で送り迎えしてもらう。車を停める裏門側はそれまであまりなじみのないゾーンだった。そこには地元の偉人ということで、池田長発(「ながおき」と読む)という幕末にパリまで条約の交渉に行った(失敗して隠居を強いられた)人物のブロンズ像が建っている。校長室のある廊下には長発ら髷を結って袴を着た使節団が立ち寄ったカイロでスフィンクスをバックに撮影したモノクロ写真が飾られていた。「長発太鼓」という和太鼓の曲があって、6年生はこれを学芸会や市のイベントで披露する習わしがある。しかし教師も含めて長発が何を考えてどういうことをした人物なのか説明できる人はいなかったし、太鼓にいたってはそれが長発と直接関係のあるものなのかどうかすら誰も気にしていない。井原市のもうひとりの偉人は平櫛田中(「でんちゅう」と読む)という彫刻家で、街の真ん中にある小さな田中美術館の前にある田中公園には、彼の「いまやらねばいつできる/わしがやらねばたれがやる」という箴言が彫られた石碑が建っている。いやはや。僕の気持ちがわかってもらえますかね。