日記の続き#135

八月の30年——18歳

通算500回目の日記。昨夜8時くらいに眠たくなって起きたら4時で、今は朝8時半。この連載で何を書くべきなのか、その基準が見つからなくてずっと迷っている。いつでも思い出せることは書かないようにしようと思っている。3年生になると教室が3階になる。3階からは小さく海が見えた。岸をなぞるように延びる国道2号線は轟音とともに脇をすり抜けるトラックがおっかない。その海は近づいても小さい。日に何度か北木島や白石島と往復するフェリー乗り場があり、小さな漁船がぎいぎいと音を立てながら並んでいる。国道と海に挟まれた黒い砂利が広がる空白地帯にアスファルトの粉塵で煤けきった、その街に唯一のラブホテルがあった。「瀬戸内レモン」的なイメージはわれわれにとって沖縄と同じくらい縁遠い。笠岡港は暗く、福山港には工場しかない。夜には煙突から炎が上がっているのが見える。高校へは地元からバスで30分ほどかけて、名前のない山をひとつ南へ越えて通っていた。そこからどこかに行こうと思ったら西か東に行くしかない。結局東の大阪に出ることになった。大阪は2号線の終端でもある。