日記の続き#136

八月の30年——19歳

大阪編。梅田から阪急宝塚線で10分ほど北上したところ、さらに10分北上すれば阪大豊中キャンパス最寄りの石橋駅がある庄内という街に6年間住むことになる。駅から西に徒歩5分ほど、家賃は4万8千円で、10畳のワンルームで2畳ほどのウォークインクローゼットがあって、風呂トイレ別で洗面台も独立しており、キッチンのコンロも2口あった。値段にしてはかなり条件が良い部屋だと思うが、1階で窓が面しているのがいつも暗くて湿った路地で、ベランダがないので洗濯物を干すのが大変だった。ベッドの上に物干し竿を突っ張って設置していたのだが、ときおり寝ているときに竿ごと落ちてくる。敷地を区切る柵に布団を干していたら、それは私道側の柵、つまり向かいの一軒家の所有する柵だということでその家のおばちゃんに注意された。それがきっかけでおばちゃんと顔を合わせれば話すようになり、余ったからといって彼女がプラムをくれて、その場で窓越しに食べておいしいですねと言った。ときおり彼女の6歳ほどの孫が窓を叩いて話しかけてきて、自分は大学生なのだという話をしたりしたのだが、彼は僕が方言を話すたびにそれはどういう意味なのかと聞いてきた。駅前の個人指導の塾でバイトを始めて、おもに中学生を教えていたが数ヶ月で辞めることになる。そこを仕切っている正社員がやっかいなひとで、30歳くらいの女性で片足を引きずりながらとても速く歩くパワフルなひとだったのだが、家が近いのだからとよく朝まで居酒屋に付き合わされた。大きな建築会社の社長の娘らしく、たいてい親との確執の話だった。終電が過ぎるといつも僕の家に行こうと言うので断ってタクシーに押し込んでいると、休みの日に家の電球が切れたので交換を手伝ってくれと言われ、断るのも面倒なので行って交換するとシャワーを浴びると言うのでシャワーを浴びているうちに帰ってもう辞めるというメールをした。部屋は狭くて散らかっていて、買ってあった電球は型違いだった。