日記の続き#137

八月の30年——20歳

書店に行ったら新書ランキングのところに『裏横浜』という本があって、目次を見てみると黄金町、曙町、伊勢佐木町、寿町と僕が住んでいる地区を取り囲むような地名が並んでおり、誰が裏やねんと思った。大阪は大阪市とその北の豊中市とでふたつの「南北問題」を反復するような格好になっていて、つまり、大阪市のミナミより梅田があるキタのほうが裕福で、豊中市の北部には高級住宅街があるのに対して南部の庄内や服部には70年代のベッドタウン再開発で集められた労働者の「文化住宅」がたくさんある。塾を辞めて書店でバイトを始めて、10年以上バイトを続けているハマグチさんという先輩は庄内にある実家に住んでいて、一緒に帰りながらよくそんな話を聞いていた。彼が言うにはこれでも文化住宅はだいぶ減っていて、95年の震災であらかた倒壊したのだということだった。夕方になると洗面器にタオルを入れて銭湯に向かう老人をよく見かける。深夜になると文化住宅でルームシェアをしているらしい外国人が路上でたむろし始める。最初はおっかなかったが、みんな地元の家族や友達と通話するために——部屋で寝ている同居人に気を遣って——出てきているのだと気づいた。駅前のちょっとした商業ビルの2階にある喫茶店は全席喫煙可で、あらゆるソファが破れていた。というか、ほんの10年前までは喫茶店で完全禁煙というところはかなり少なかったはずだ。庄内と梅田のあいだにある繁華街の十三という街はマックでさえ喫煙可だった。飲み残しを捨てる穴の横に吸い殻を捨てる穴があったのだ。それにしてもハマグチさんにはよくしてもらった。彼が本の話をしているのをいちども聞いたことがないが、社員も一目置くとても優秀な書店員だった。実家はかつてたこ焼き屋をやっていたらしい。