日記の続き#139

八月の30年——22歳

絶望的に単位が足りず、4年の後期なのにも関わらず週20コマも授業を履修し、ひとつも落とせないという状況だった。美学のいちばん年長の上倉先生に呼び出されて、君は卒業できないぞと言われた。黒い革張りのソファベッドがあって、カセットコンロと土鍋があった。人を呼んでそこで酒盛りをしているのだ。彼はいつも少し顎を引いてまっすぐ僕の目を見る。僕の態度が曖昧だからか、彼は君のお父さんは何をしているのかと聞いた。よくわからないですと言うとわからないわけがないだろうと言われ、農業機械の営業をしていて、毎日のようにトラックで岡山県を縦断していますと言った。でも本当にそれが何なのかよくわからないのだ。その返答が先生にどういう印象を与えたのかわからないが、ともかく留年して困らせたらダメだという話がしたかったのだろう。それに僕はすでに院試に受かってしまっているのだ。しかもそれも儀礼的に受けただけだったのが、本来行こうと思っていた人間科学研究科の檜垣先生の現代思想研究室の願書を出し忘れていて受けられなくなってやっぱり美学で進学したいと言っていて、つまり幾重にも失礼かつ迷惑な話だった。上倉先生はその年で退官が決まっていたが、いちどこいつをしゃきっとさせておかないと残される先生が大変だと思ったのだろう。彼はどうせ君は授業サボるでしょと言って彼の授業の日が公演の歌舞伎のチケットをくれたこともあったし、とても面倒見がいい先生だった。その彼が困り果てている。腹が立つけどどうしようもないと思っていたのだろうか。こちらはこちらで申し訳ないなと思うがどうしようもない。結局どうにかこうにか単位が揃って卒業した。なんとかなるものだ。