日記の続き#141

八月の30年——24歳

ここまで来ると今やっていることとさほど変わらない生活なので、書くのは簡単だが僕自身にとって驚きのある話が出るかどうかはわからない。大きく言えば『アーギュメンツ』(関係者からの手売りのみで販売される批評誌)の購入をきっかけに黒嵜さんと出会って、今でも友達のひととたくさん知り合うことになる。これが今の活動につながる僕の個人史の本流だとして、そこからちょっと外れた話をしよう。それは正確には僕が24歳になる2016年ではなく2015年のことだったのだが、当時、今で言えば「暗黒啓蒙」的な、アングラなサブカルチャーと現代思想や批評を連動させた同人誌を作っていたはるしにゃんという人がいて、面識もなく共通の知人もいなかったのだが突然彼から今度作る雑誌に寄稿しないかというDMが来た。内容はなんでもいいということだったので、直前に出した卒論で参照したエリー・デューリングの映像論についての文章でいいかと聞いたらオーケーだった。今当時のDMが残っているか見てみたら、2015年3月7日に連絡が来ていて、彼の「期待しています」というメッセージでやりとりが終わっていた。それからしばらくして彼は亡くなってしまうのだが、そのあと友達になるひとの多くから同じように寄稿依頼があったという話を聞いた。まさか自分が書き手として誰かに関心をもってもらえるなんて思っていなかったし、批評の同人誌に自分が関わる可能性があるとすら思っていなかった(そういうものが存在するのも知らなかった)。それで『アーギュメンツ』を買って、『アーギュメンツ#2』には執筆者として関わることになる。この「それで」がどれくらい直接的なものなのかはもうわからないが、けっこう強めの「それで」だったと思う。結局本流の話に回収してしまった。