日記の続き#166

日記についての理論的考察§16

こないだの美術館でのトークのアーカイブを送ってもらって見返していた。そのなかで日々の出来事と日記のあいだには、ふつうに考えれば「その日あったことを書く」という意味で時間的な前後関係とともに出来事の平面と日記の平面の階層関係があるが、実際はいずれの意味でもそんなにすっきりいかないという話をした。以下はその補足。日記が「その日あったことを書く」ものであるなら、理想的な日記は25時間目に書かれるはずだ。つまり日記という形式には実際はその日のうちにありながらあたかもその日の外から書いているかのように書くことを要求するという、お決まりのクラインの壺的な循環がある。ここから抜け出すための実際的な手口としてまず、夜更かしをするということがあるのだが、当然これは生活時間がズレ込んでいくことを代償として引き起こす(今日も起きたら午後2時だった)。しかし他方で書いていると勝手にその循環から抜け出ることもあって、それは「その日あったこと」の外に出たり、なんもなかったなと思いながら書いているうちに言葉に引っ張られて「その日」から新しいものを引き出せたりすることとしてある。