日記の続き#182

京都で非常勤の日。あいかわらずひかりに乗って、20分のロスと引き換えに空いた車内に座っている。往復だと40分移動が増えるが、べつにその40分で車内でできないことを何かできるわけでもない。2回喫煙ブースに行って、1回トイレに行く。これもいつも通りだ。バス停にはホームレスのおばさんがいつもどおりの位置に立ち尽くしていて、しかし夏休みぶりに見ると髪が坊主頭になっていた。バス停の喫煙所にはひとりで喋り続けているおじいさんがいて、とにかくいろんな偉い人が身内なのだという話をしていた。安倍も小池知事もそうやし、みずほ銀行があるやろ、あそこらへんは東大も早稲田も慶応も、と名詞が横滑りし続けていて、そのうちどれかがときおり「身内」に引き入れられていたが、その枠組みは決まって自分は関西の人間だが東京にコネがあるということだった。つまり関西と東京という区分けのもとで、あらゆる名前がひとしなみに物語化されるのだ。テレビの悪影響とはこういうことを言うのだろう。僕が煙草を吸い終わる頃には水卜アナウンサーの話になって、みんなミトちゃんって言うけどミウラなんやと繰り返し言っていて、その知識が彼の、関ヶ原の向こうのエルドラド的身内世界を支えているようだった。4限で修士の、5限で博士の学生の研究発表にコメントしてバスで京都駅に戻る。さっきまでピンク色だった西の空が黄色く霞んでいて、長いローソンの隣に短いレンタカー屋があった。空が黄色くて、長いローソンの隣に短いレンタカー屋がある。不意にとても寂しい気持ちになった。