日記の続き#187

単著単位の長い原稿を触るのは本当に苦しいので、1日ごとの時間を決めてやっていくことにした。そうでもしないとそれ以外の時間がすべて原稿をやっていない時間になる。

夜にラリュエルのPhilosophie et non-philosophieを読み始めた。フランス語の本は再読するときに話の流れを辿りなおすのに時間がかかるので、線を引きながらevernoteで読書メモも取りながら読む。僕らは再読することを前提に本を読むのが当たり前になっているが、これは変なことなんだろう。結果として再読するかどうかはどうでもよく、再読するつもりで——もうちょっと限定的に言うと、いつかどこかで引用するつもりで——読むのは難しい本を読むときのポイントかもしれない。原稿だって読書メモだっていつまで続くかわからないが、日記のおかげでいつまで続くかわからないものをとりあえずやることへの抵抗がなくなってきた気がする。ラリュエルは読んでいるとそんなに毎段落見得を切って疲れないのかと思うけど、1989年で、バディウの『存在と出来事』が1988年で、ドゥルーズの10歳くらい年下で、と考えるとここまでやらないと突き抜けられなかったんだろうなと思う。メイヤスーやブラシエはこういう勇気に励まされて出てきたんだなという感慨があった。