日記の続き#226

重いものを楽に持てるからという理由で学部の頃からリュックを使ってきたが、すこし前から手で持つトートバッグのほうがよいのではないかと思うようになってきた。リュックだと物を出したり入れたりするのに降ろす/背負うというアクションが挟まってきて、それがたとえば電車のなかで本を読んだりすることの微妙な心理的抵抗になってくる。それにこれからどんどん厚着になってくると、上着の着脱にバッグの着脱がくっついてくるし、肩周りの圧迫感もあるし、見栄えもよくないし、とにかくいつの間にか僕の頭のなかでリュックがどんどん悪者になってきたのだ。こうして書いてみると別にどうってことないとわかるのだが、とにかく昨日までそういう気持ちで、横浜駅のNEWoManに入っているブリーフィングに行って、丈夫で雑に扱えそうなトートバッグを買った。気が大きくなったのか、最後まで使い切ったためしがないのにまた分厚いノートも買った。生活の再編という理想が、なにかとても些末なものに賭けられてしまうことは往々にしてある。それは悲哀だが、悲哀だからと言ってそっぽを向けばいいわけではない。