日記の続き#245

日記の2年間はストレッチの2年間にだいたい重なる。かなり体が硬かったのが少しずつ柔らかくなってきた。誰に気づかれるわけでもないし痩せたり太ったりするわけでもないが、体の居心地がいいのはいいことだ。というより、居心地の悪さへの解像度が上がってそれを自分で癒やせるようになる。しかしそう考えると文章というものは体よりずっと変わりにくい。というか、文章は文章で、日記の2年間は博論本の2年間でもあって、こっちはこっちでやっかいなダブルライフが続いている。考えてもみてほしい。一方にはこうして毎日が締め切りのプレーンな散文があって、他方には延ばそうと思えばいくらでも延ばせてしまう締め切りの、角張った概念と脚注と原語併記にあふれた文章があるのだ。