日記の続き#251

京都行きの新幹線。眠いが眠れないので諦めて日記を書く。昨日からAmazonのオーディブルに登録して、なんとなく漱石の『それから』の朗読を聴いている。頭のなかの推敲を追い払えるのでいい。主人公は僕と同い年で、親と兄の稼いだ金で暮らしているのになんの負い目も感じていない。

昨夜、作業の帰りに大通公園を歩いていて、前で電話をしながら歩いていた男が不意に向きを変えた。ぶつかるような距離ではなかったが、通話している人とぶつかるのはいいモチーフかもしれないと思った。ワイヤレスイヤホンが普及して大きな声で独り言を話す人と通話をしている人の区別がつかなくなったというのはよく聞く話だが、いずれの場合にもそれが不安をもよおすのはひとりで喋っていること以上に普通の歩行者と違う空間を歩いているからだろう。サッカー選手が前半終了の笛を聞いたとたんに一斉にベンチのほうに向きなおるように不意に向きを変える。そういえばあの瞬間には不思議な官能がある。さっきまでボールをめぐってなされていたあれは、かりそめのことだったのだという。あるいはそれは、選手の動きを見てやっとハーフタイムの笛だったのだと遅れて気づくことで同期がズレるからかもしれない。さっきまで見入っていたあれに、私は遅れているのだという。