日記の続き#261

一昨日、つまり22日の木曜日の話なのだが、昨日日記を書いたあとでいろいろ思い出したので書いておく。

京都のホテルで起きて、タナカコーヒーで朝食を食べながら日記を書いて、京セラ美術館まで歩いた。小雨だった雨が強まってきて、あと100メートルのところまで来て諦めてコンビニで傘を買った。チケットを買ってロッカーに鞄とダウンジャケットを入れる。美術館でいちばんうれしいのは鞄と上着をロッカーに預けて身軽になった瞬間だと思う。ウォーホルが京都に来て何が嬉しいのかと思いながら展示の導入部を見ていると、1957年の京都旅行の資料として金閣寺の写真のポストカードが展示されていて、これとまったく同じ写真が実家の勉強机のマットに敷かれていたと思った。小学校の修学旅行で買ったものだ。展示は全体としてあまりに大味だった。イラストレーター出身で、京都旅行に来て、ファクトリーを作って、死をテーマにした。あいかわらずウォーホルを重宝がっているユニクロのUTと大差ない解像度だ。図録にすら批評的な文章は載っていなかった。というか、現代美術でおおっぴらに批評避けができるのが珍しいのかもしれない。

また『それから』を聴きながら移動して、京都駅に着いたところで「みちよ」が泣いて僕も涙がこみ上げた。北に見える山脈の襞とその上空のまだら状の雲が複雑な影を作っていた。手前の平野が晴れているぶんそれがとてもきれいに見えた。「だいすけ」と「ひらおか」の最後の談話は長ったらしく感じたが、名古屋辺りで10時間の『それから』をようやく聴き終えて、いい小説だったと思った。新横浜から地下鉄に乗ると、隣の席のおじさんがセガンティーニの絵を貼った名画botを引用して絵の内容とタイトルが合っていないと呟いていた。帰るとAmazonから『絵画とタイトル』が届いていた。