日記の続き#258

10日ほど前から博論本の書き方を変えてみている。章単位でファイルを分けているWordで書き継いでいるとすでに書いたものを引きずって歩いているようで辛くなってくる。いちどすべての原稿をリッチテキストに変換してScrivenerのドラフトに移設して節ごとに分割し、執筆中の節以外をブラインドできるようにするのだが、これでもすでに書いているものの堅さに圧されてしまう。第4章第4節と第5節のブリッジになる部分を書いているのだが、一文書くごとに当該の節の文章をすべてスキャンしなおさなければならないような重苦しさがある。リサーチ欄に日付をタイトルにした文書を立項して、そこに粗いプロットと原稿のあいだのような文章を箇条書きで書いてみると楽な感じがして、作業メモの延長のように書けばいいのかもしれないと思う。日付をタイトルにしたうえで、2000字ほどのブロックを3日ほどかけて育てる。それができたと思ったら、接続は気にせずに別のブロックを立項しまた3日ほどかけて育てる。そうしてようやく懸案のブリッジができた。これをドラフトに移植して継ぎ目を均すのはまた大変な気もするが、ともかく。2年経ってやっと日記を本業(?)に役立てられるようになったのだ。

日記の続き#257

昨日は一昨夜の夜更かしと今日の早起きのあいだにすりつぶされたようにあっという間に終わったので今日起きてからの話。しばらく前から妻に健康診断を受けてくれと言われていて、そのたびにはぐらかし続けていたのだが今度病院に行くときについでに予約を入れるからと言われて行くことになった。10時間前から何も食べられないから昨夜は早めに寝て、8時に起きて白湯だけ飲んで近所の病院まで歩く。古い小さい病院で、床は木調のタイル、受付の台は墓石のような灰色のテクスチャだ。保険証を渡すと血圧を測ってくれと言われ、機械からプリントされた結果を渡すとトイレで採尿をしてくれと言われた。万事このように勝手にやる感じなのだろうか。カップに名前を書いてくれと言われたのだがトイレにペンがなく、ペンがありませんと言うとそっちじゃなくてこっちのトイレだと言われた。採尿をしたら25mlくらいしかなくて、不安になってその場で「検尿 量」と検索すると25mlあれば十分だと書いてあった。ようやく看護師が出てきて身長と体重を計って血を採った。レントゲン室は家だったら応接間になりそうな位置にあって、ベッドの上にある機械に背を向けて壁に張り付く。壁には戸棚が付いていて、観音開きの扉の片方に学校に寄贈された鏡でしか見ないような書体で「未撮影」、もう片方に「撮影済」と書かれている。アスベストを吸うような仕事はしていないかと聞かれる。看護師が医者を呼びに行って、見えない医者が息を吸えと言ってシャッター(?)を切った。問診を待つソファからは診察室と受付の裏側が同時に見渡せる。棚に収まらないカルテが床の段ボール箱に入れられている。診察室は下痢の若者が触診される段になってやっとカーテンが引かれた。気になるところはないかと聞かれたのでないと言うと、1週間後には結果が出ているはずなのでそっちから電話をするようにと言われた。はいと言って帰った。

日記の続き#256

最後までなんだかよくわからなかったので帰ってから妻に改めて確認したのだが、代々木にある妻の親戚の家で開かれたクリスマスパーティに行った。確認したのは誰がどういう関係なのかということで、家は妻の従姉妹夫婦の家で小さい娘がおり、そこに伯母夫婦と、そのもうひとりの息子(妻の従兄弟)夫婦と小さい娘、そしてわれわれふたりの都合10人が集まっていた。親戚が代々木に住んでいてそこに集まるということがすでに異次元の体験なわけだが、結婚したらいつの間にか芋づる式に親戚が増えているというのも妙な話だ。妻の従姉妹の夫と従兄弟は血が繋がっていないのが信じられないくらい似ていて、ふたりとも横と後ろの生え際を刈り上げて長髪をくくった同じ髪型で髭の形まで一緒なのでそれが混乱を助長した。一方はナイキに勤めていて他方はパーソナルのトレーニングジムを開いているらしい。そういえば村上春樹の小説でも、義理の家族がよく微妙な立ち位置で出てくる。いちばん目立つのは『ねじまき鳥クロニクル』のワタヤノボルだが、『スプートニクの恋人』では主人公は義父にバーの経営を任される。短編の「ファミリー・アフェア」は妹が婚約相手を連れてくる話だった。そんなことを考えながら、子供が誰かからもらったポケモンのドールハウスを代わりに組み立てていた。

日記の続き#255

財布と、携帯と、煙草とライターと、車の鍵がポケットにある。松江から山陰道を西に向かって宍道ジャンクションで南に折れて、あとはひたすら1キロ以上のトンネルが連なる道で山脈を貫く。ハンドルに乗せた手が腕の重みで痺れてくる。尾道で東に折れて山陽道に入って福山で降りる。ジョリーパスタでご飯を食べて、駅の近くに取ったホテルに車と荷物を置いて、近くを歩いた。このあたりも8時閉店のお店ばかりだ。駅ビルのお店で弁当を買って、部屋に戻って食べた。(2021年8月12日

日記の続き#254

来年から非常勤の授業がふたコマ増えそう。ひとつは院生向けの授業で、これは論文講読にしようと思う。1年間修士の学生の研究発表を聴いてきて、「書いてあることを書いてあるとおりに読む」こと、そして「研究テーマと研究対象は違う」ということ、このふたつがどうにも飲み込めていないひとが多いのではないかと思う。そしてこのふたつが組み合わさって、ぼんやりしたテーマに合致する手近な対象をもってきてそのうちの都合のよい要素を並べる、二重のチェリーピッキングのような研究になる。個別の作品なりテクストなり、そうした小さなものの細かい分析から大きい問いを引き出すことが人文学のダイナミズムだと思うのだが、細かくやることと大きく出ることとのあいだのテンションが弛緩してしまっている。「小さなものを細かく分析しつつ大きな問いを引き出しそこに一定のパースペクティブを与えている論文」を各自の関心に基づいて探し共有し、事前に全員が読んだうえで担当者がレジュメを作成し発表し議論する授業にしよう。

日記の続き#253

黄金町でやっているRAU試を見に行く。横国で平倉さんと藤原さんが数年前からディレクションしているワークショップの成果展だ。関内から黄金町にかけての平地を挟み込むような野毛山と山手の地形を辿るフィールドツアーのマップが配布される。もう暗いので歩くのはまた後日にしようと思ってゆっくり映像を見て、すぐ近くのジャック&ベティという映画館で上映されている同企画の特集までの時間、これもすぐ近くの珈琲山という喫茶店で時間を潰すことにした。ここは家から近いし煙草が吸えるしコーヒーも美味しいのだが、いつ来ても大きな音でクラフトワークの同じアルバムが流れているのであまり寄りつかなくなってしまった。他方で壁中にデヴィッド・ボウイのポスターが貼られていて、久しぶりに来たらそれが『戦場のメリークリスマス』のリマスター版のポスターに入れ替わっている。せめて音楽もボウイに、あるいはせめてクラフトワークとかわりばんこにしてくれたらいいのだが、今日もクラフトワークがヴォコーダーを通して「フクシマ、ホウシャノウ」とマントラのように繰り返している。ぜんぜん読書に集中できない。それにしてもなぜよりによってNO NUKESのアルバムなのか。左京区に店ごと転送してやったほうが古田新太似の店主も幸せなのではないか。そうすればこの80年代−文化−左翼の結界も緩むだろう。早めに店を出て映画館に移ると、チケット売り場で前に並んでいるのが平倉さんだった。

日記の続き#252

帰りの新幹線で名古屋駅に停まると、30人ほどの力士が乗り込んできた。思い思いの浴衣を着て、香水の甘い匂いが車両いっぱいに広がる。背もたれから飛び出した頭に乗った丁髷が列になって文鳥のようにぴょこぴょこと動いている。オーディブルで聴いている『それから』は「だいすけ」のところに甥の「せいたろう」が遊びに来たところで、ホットチョコレートを淹れてやるとそんなことより相撲を見せに連れて行ってくれとせがんだ。気づくと眠っていて、この新横浜はあの新横浜なのだろうかとしばらく考えて急いで飛び出した。

日記の続き#251

京都行きの新幹線。眠いが眠れないので諦めて日記を書く。昨日からAmazonのオーディブルに登録して、なんとなく漱石の『それから』の朗読を聴いている。頭のなかの推敲を追い払えるのでいい。主人公は僕と同い年で、親と兄の稼いだ金で暮らしているのになんの負い目も感じていない。

昨夜、作業の帰りに大通公園を歩いていて、前で電話をしながら歩いていた男が不意に向きを変えた。ぶつかるような距離ではなかったが、通話している人とぶつかるのはいいモチーフかもしれないと思った。ワイヤレスイヤホンが普及して大きな声で独り言を話す人と通話をしている人の区別がつかなくなったというのはよく聞く話だが、いずれの場合にもそれが不安をもよおすのはひとりで喋っていること以上に普通の歩行者と違う空間を歩いているからだろう。サッカー選手が前半終了の笛を聞いたとたんに一斉にベンチのほうに向きなおるように不意に向きを変える。そういえばあの瞬間には不思議な官能がある。さっきまでボールをめぐってなされていたあれは、かりそめのことだったのだという。あるいはそれは、選手の動きを見てやっとハーフタイムの笛だったのだと遅れて気づくことで同期がズレるからかもしれない。さっきまで見入っていたあれに、私は遅れているのだという。

日記の続き#250

深夜、松のやでカツ丼を食べていると高校生らしき息子とその母親が隣に座った。母親の言葉はおそらく中国語訛りで、息子には訛りがない。友達のお兄ちゃんが詐欺で捕まったと言うと、ひったくりかと聞かれて、ひったくりじゃなくて詐欺だ、盗んだのではなく騙したのだと言った。

日記の続き#249

朝までモロッコ対ポルトガル、フランス対イングランドの試合を見ていて、やっと寝たら11時くらいにインターホンで起こされた。アパートの入口ではなくいきなり部屋のドアのチャイムが鳴ったので妻がいぶかしがっていたのだが火災報知器の定期チェックの人だった。とりあえず部屋着を羽織ると先端に何かカップ状の機械がついた長い棒を持った女と年上の男が小さくなりながら入ってきて、天井についている報知器ひとつひとつをそのカップで覆って回る。男がスニーカーを手に持って部屋を横切ってベランダに出て行く。いちいち後ろを着いていくのも変だし、立っていればいいのか座っていればいいのかわからず、寝ぼけたまま妻と部屋の真ん中で立ち尽くしていた。