日記の続き#277

単著スケールの長文を書くことの難しさは、ワーキングメモリとストレージの区別がつかなくなることにある。短い文章ではそもそもこの区別は必要ない。作業するにあたってあらかじめこの範囲をやるぞと決めていても、いつの間にかストレージからいろんなものを呼び出していて、90分ほどを境にどんどん動作が重くなってしまう。これは半面いいニュースでもある。いままで集中力が落ちるから作業が続かないのだと思っていたが、むしろ集中するほどに息が詰まってくる(実際に文字通り息が詰まる感覚がある)のだ。したがって考えるべきはこまめにワークスペースを自覚する方法だ。あるいは反対に、ストレージから呼び出してしまっているものを頭のなかから逃がす方法だ。こちらのほうが性に合っているだろう。実際パラグラフ・パッド(いつかの日記で説明した)はそういうものとして考えられる。平井靖史さんの本を読んでいたからこういうことを考えたのかもしれない。