日記の続き#289

夜中に目が覚めて、下腹部に尿意を我慢し続けたときのような痛みがあってトイレに行ってもう一度寝るとまた同じ痛みで目が覚めた。これは前立腺なんじゃないかと思って横になったまま「前立腺 痛み」と検索すると前立腺炎というものがあるらしい。病院に行って診察を受けてという想像が、自分の頭のなかでそれを日記にどう書くかという推敲とくっついていることに気がついて、頭がおかしくなっているのかもしれないと思いながらまた寝た。朝起きると痛みは引いていた。

日記の続き#288

あるアイデアを思いつく。それ自体ではことさら新しいアイデアではないが、いま私がそれを思いついたことは絶対的に新しい。しかしそれをそのまま言ってもまた別の平凡さを呼び込むだけなので、私とアイデアの関係をつぶさに見て、それを客観的な何かに置き換える。そうすると新しいものができる。難しいのは新しいと思い込むことも、思いついた私を分析することも、自分への信頼がなければできないということだ。

関内のルノアールで作業をして外に出ると小雨が降っていて、地下鉄で帰った。ひとつ先に改札を出たひとのSuicaの残高が1円だった。スーパーに行くと「曲げたからこそ甘くなったネギ」が売られていた。メタフォリカルな気配がある名前だが、たんにネギというものは曲げて育てると甘くなるのだろう。しかしネギが甘くて嬉しいかというと微妙なところだ。パスタにしようと思って春菊と舞茸とアンチョビを買って帰ったが、こないだ作ったソフリットがまだ余っていたのでそちらを使った。

日記の続き#287

4時間ほど寝て起きて11時にチェックアウト。スマートコーヒーで玉子サンドを食べようと思ったら客が並んでいて、じゃあ六曜社でドーナツを食べようと思ったら閉まっていたので結局いつものタナカコーヒーに入って日記を書いた。調べると三条から立命館までバスで40分もかかる。とはいえそれ以外の手立てがあるわけでもなくバス停で定刻より10分も長く待っていた。バス停の前に「Oko-cious」という店があって、それは「おこしやす」と「お好み焼き」と「delicious」をかけているのであった。そういうのは思いついてしまうとその引力に抗うのは難しいが、そこから離れてこそ開かれるのではないか。2コマで6つの研究発表を聞いて、今年度の授業は終わり。1年やってみて難しいなと思うのは、君らがやるのは「書く」ことで、研究計画を作って直してを繰り返すことではないということがなかなか伝わらないということだ。これはそう言って伝わるようなものではないのかもしれない。関係の非対称性に寄りかかって、計画にオーケーが出たら書けるようになる、というか、オーケーが出るまで書かなくて済むというところに態度がスタックしてしまう。でもオーケーなんか出るわけもないし、出るとしたらそれはたんにとりあえずやってみなさいということでしかないのだ。PDCAを回すというのが小馬鹿にされていたのは何年くらい前だっけ。ポイントはDoのあとにCheckがあることだ。

日記の続き#286

京都駅を出てすぐのなか卯でカツ丼ランチを食べた。鶏団子が入った小さいスープが付いていて嬉しい。地下鉄で京都市役所前まで行って鴨川沿いのホテルにチェックインしていらない荷物を置いて、バスで出町柳に向かった。『近代体操』の刊行イベントで左藤さん、松田さんに呼ばれて黒嵜さんと一緒に4人でトークをする。冒頭から黒嵜さんも僕もわりと批判的なトーンで入ったのだが、ふたりがしょんぼりするでもなくむやみに敵対するのでもなく素直に返してくれたので話しやすかった。批評とは何かという問いについて、「ものを言う」ことが「何かを伝える」こととなる条件をそのつど、それぞれに作り(普遍的な条件は存在しないので)、実践することだと思うと言った。言質を取ったり作ったり、そういう置き配的な言論はもううんざりだ。もう何年ぶりだろうという打ち上げらしい打ち上げがあり、二軒目の安いバーのトイレの壁には様々な便器の写真が並んだ壁紙が貼ってあった。どの店も閉まってしまったので京大の研究室に移って残った8人ほどで喋る。もう東京ではこういうことは起こらないかもしれない。6年くらい前に道玄坂の上にある渋家のオフィスに押しかけて斎藤さんと黒嵜さんとひふみさんと朝まで喋ったことを思い出した。始発を待たずに眠くなったので百万遍の交差点でタクシーを呼んでホテルに帰った。朝4時なのに京都らしい応接モードの運転手で、ホテルの名前を告げるとちょうどそこらへんから来たんですわ、寒いから待たせたらあかんと思たんですけど、この時間やから4分ほどで来れましたと言った。今日はどちらからと聞くので横浜ですと言うと、浜っ子ですねと言われた。京大の近くにおったら一日かかりますわと言われて、意味がわからなかったので笑った。木屋町で飲むといいですよと言われた。ホテルオークラが景観条例の上限より高くてもオーケーになったいきさつを聞いた。お坊さんの声がそんなに大きいんですねと言った。風呂の蛇口をひねっておいて、ガス室みたいな掃除用具入れみたいな喫煙所で煙草を吸った。洗面所の洗顔料を取るために風呂場から身を乗り出すと、ガラスのドアが尻に当たって冷たくてびっくりした。

日記の続き#285

急にめっきり寒くなった。これまでも寒かったが、本当に寒い時期に入った。僕は本当に(本当に)寒いのが苦手で、こう冷え込んでくると起きても体が動かないし、むりやり外に出るとずっと体の中がひくひくと震えているような失調に陥る。体のエネルギーが3段階ぐらい落ちてしまうのだ。エアコンの暖房でどうにかなるものでもなく、いちど湯船に浸かってからでないとまともな活動ができないくらいで、そうこうしているうちに夕方になった。今日はちょっと仕事は諦めようと思って、スーパーに行って大量の野菜とトマト缶ふたつを買って、フライパンいっぱいのソフリットを作りながらトマト缶を煮詰めて、それを合わせてパスタソースにして食べた。料理をするとやっと体に熱が戻ってきた。明日から2日間家にいないので余ったものは妻のための作り置きにもなる。しかしこの冷えはどうしたものだろう。これがあと2ヶ月は続くと考えると暗い気持ちになる。食べて動いて代謝を上げるのがいいんだろうけど、食べたり動いたりするまでにものすごく時間がかかってしまう。

日記の続き#284

大和田俊と新宿のデカメロンに展示を見に行く。ご飯を食べるところを探していると歌舞伎町にもこんな店があるのかという素朴な定食屋があって、そこで生姜焼き定食を食べた。大和田さんが壁に貼ってある子供の絵を見て、これは何語ですかと店員に聞くと、ミャンマー語で、地元の子供らが来たときに描いていったのだと言った。大和田さんいわくなぜか知らないがミャンマー人が和食の店をやることはけっこうあるらしい。展示は村田冬実さんの個展で、会場で久しぶり——芸大で『アーギュメンツ#3』を買ってもらって以来だから6年ぶりくらい——に村田さんに会った。ビンゴゲームの紙の当たったところを折り込むように、対象の輪郭に沿って切り取った写真が折られ、伏せられた紙から対象が立ち上がっている。写されているのは人形やぬいぐるみで、ひとの家の窓に外に向かって置かれているものをガラス越しに撮ったものだということだった。伏せられた背景はかすかに反り返っていて(ロール紙に印刷したかららしい)、写真と同じ大きさの展示台の下から覗くと縁からカーテンの模様や室内の光が見える。人形はガラスのテクスチャーや外景の映り込みによってそれぞれにある種のエフェクトがかかって、それが不思議とどれも懐かしさの印象を与える。写真の隠喩だ、と思う。でも写真の隠喩をインスタレーション的に作ることより、それがすでに街路に露出していることを示していることが大事なのだと思う。1階のバーで村田さんと大和田さんとビリヤニやインドについて喋っていると村田さんの友達の作家も合流して、手巻き煙草の巻き方を教えてもらったり、それぞれ試している健康法を教え合ったりした。それほど親しくないひととそういう他愛のない話をしたのが楽しくて、それがものすごく久しぶりのことに思えた。大和田さんは結石が痛むらしく、情報番組の天気予報のように移動する痛みをそのつど報告していた。

日記の続き#283

10日くらい前から毎日ノートに作業日誌を付けている。作業に取りかかる前にノートを開いて、日付と、ノートを付け始めてからの日数をDay 9というかたちで書く。その日したい作業のあらましや、どこでつっかえているのかということをバラバラと書いて、興が乗ればそこでアイデア出しをしてもいい。日数を書くのがポイントで、これで時間が過ぎていっているのだという実感と、多少とも実のある作業が積み重なっているのだという手応えが得られる。こういう長い、締め切りもあってないような仕事はこうして、時間を逆算するのではなく加算していくような仕組みが必要だ。ちょうど今は卒論、修論、博論の提出時期だが(自分がぜんぶちゃんと出せたなんてウソみたいだ)、そういう本当の、出せる出せないと自分の社会的ステータスがくっついた本当の締め切りがあるのは学生のうちだなと思う。それで、作業が終わったらまたノートを開いて、やったことと明日やることを書く。たいていぜんぶで半ページにもならないが、それだけで毎日パソコンを開くたびに同じ場所にリスポーンするような徒労感はなくなる。今日が昨日と違うということも、手に取れる何かでそれが確認できないとわからなくなる。とりわけ本の執筆のような、成果物だけ見れば日の出時間のようにゆっくりとしか変わらないものについては。

日記の続き#282

ヤクザなのか半グレなのかわからないが、喫茶店に借金の取り立て方法を話し合っているらしいグループがいた。どういうわけかこういうひとらはたいてい、グループのうちひとりが大げさにあいさつしながら店を出たり、またべつのひとが入ってきたりする。そこにはまた独特な空間のスケール感があって、僕はある席に座っているひとに話しかけるためにはそこから1m圏内に近づくのが自然だと感じるが、彼らは店の入口から席に向かって「おつかれさん」とか言うことにためらいがない。そのグループだけ半分外にいるような変な空間になる。借金をしているのはマジシャンらしかった。

それにしても、ものを言うことが通販サイトの商品ページに足跡を残すことと大差なくなってしまった世界で、長い文章を書くことにどういう意味があるのだろうか。たとえばこのサイトには1日300人前後が訪れていて、その平均滞在時間が1分半くらいだということなのだが、この数字はどれくらいレジスタンスとしてめぼしいのだろうか。

日記の続き#281

疲れていたのか、はっきりしない一日だった。夕方になってようやく作業をしに外に出て、関内のベローチェに入った。近所には幸いいくらでも煙草が吸えるカフェがあるが、そのうちどこを選ぶかというのは時間や予想される混み具合や飲みたいものや作業と机の広さの兼ね合いや、妻が一緒かどうか、あるいは夏であれば冷房が強すぎないかといった条件群と照らせばおのずとひとつに定まっていく。ベローチェで『哲学とは何か』を読み返していたところで、日記ワークショップの趣意文の締め切りだったことを思い出してstoneで書き始めた。結局600字ほどを書くのに1時間以上かかってしまって、僕は変なところで真面目だなという気持ちと、仕事だが作品ではないこういう文章を書くのも好きだなという気持ちが一緒になってやってきた。帰って鮭と舞茸の粕汁を作って、塩鯖を焼いて、納豆のパックを出して食べた。

日記の続き#280

正月が明けて世間が動き出したのか、連絡がふたつ来て、締め切りがふたつできた。誰かが働くと自分も働くことになる。翻訳をしていて気づいたら夜の10時前で、これからスーパーに行ってご飯を作るのも面倒だなと思ってウーバーイーツを開いた。ピザ屋以外のどのお店にも「近くに配達パートナーがいません」という表示があって、どうやらあれだけいた配達員はみんないなくなってしまったようだ。それにしても配達パートナーとか、ディズニーランドのキャストとか、マックのクルーとか、ネスカフェアンバサダーとか、なんなんだと思いながら近所の焼肉屋に行って焼肉を食べた。(2022年1月7日