日記の続き#279

『それから』に続いて『門』をオーディブルで聴いている。声優が変わって、女性の台詞を林原めぐみ風のコケティッシュな声の声優が読むので最初はうろたえたが、聴いているうちに慣れてしまった。聴きながらやよい軒で肉野菜炒めを食べて馬車道のサモアールまでまっすぐに歩いて行く。「そうすけ」と「およね」の夫婦は、叔父から押しつけられるような格好で夫の年の離れた弟の「ころく」を家で預かることになる。「六畳」と呼ばれる部屋をあてがうことになり、「ころく」が家に来るまでの数日間に一章が割かれている。六畳に置かれた鏡台の前に「およね」が座って、「そうすけ」の洋服にブラシをかけている。ブラシの音が止んでも「およね」が出てこないので、「そうすけ」が六畳に見に行くと、彼女は泣いたあとのような声で「はい」と答える。「そうすけ」は空元気を出して昔の話をしたり、「どうですか、世の中は」と言ったりする。すでに何かが起こってしまって、これから何かが起こるまでの宙づりの時間。『それから』も『門』もまったく自分のことのように思える。いま聴けて(読めて)よかった。作業の帰りにまた聴きながら歩いて、カレイと菜の花と生姜を買って帰って、カレイの煮付けと菜の花のおひたしを作った。

日記の続き#278

こんどやる日記ワークショップの概要文を書かなきゃいけないのだが、細かい内容が定まらずどうにも取りかかれずにいる。15人ほどの参加者に3ヶ月間日記を書いてもらって、そのうちに2、3週間にいちど集まって全5回のワークショップをする。ワークショップの難しいところは、ワークショップ的な安易な楽しさにどこまで寄りかかるかということだと思う。他人の日記を自分なりに書き換えるとか、複数人でひとつの日記を作るとか、誰かが撮った写真をもとに日記を書くとか、出来事の順序を入れ替えるとか、三人称に書き換えるとか、やれば楽しそうな実験はすぐに思いつく。しかしどうしてもこの、楽しそうということが引っかかってしまう。一方で日記をひたすら書き継ぐこと自体はべつに楽しいことではないし、他方でワークショップ的な行き場のない楽しさに何か意地悪をしてやりたい気持ちもある。そもそも日記なんて集まってどうこうするものでもなく、それぞれ勝手にやればいいのだ。それぞれ勝手にやればいいということの厳しさに向き合うことがゴールになるといいのかもしれない。

日記の続き#277

単著スケールの長文を書くことの難しさは、ワーキングメモリとストレージの区別がつかなくなることにある。短い文章ではそもそもこの区別は必要ない。作業するにあたってあらかじめこの範囲をやるぞと決めていても、いつの間にかストレージからいろんなものを呼び出していて、90分ほどを境にどんどん動作が重くなってしまう。これは半面いいニュースでもある。いままで集中力が落ちるから作業が続かないのだと思っていたが、むしろ集中するほどに息が詰まってくる(実際に文字通り息が詰まる感覚がある)のだ。したがって考えるべきはこまめにワークスペースを自覚する方法だ。あるいは反対に、ストレージから呼び出してしまっているものを頭のなかから逃がす方法だ。こちらのほうが性に合っているだろう。実際パラグラフ・パッド(いつかの日記で説明した)はそういうものとして考えられる。平井靖史さんの本を読んでいたからこういうことを考えたのかもしれない。

日記の続き#276

コロナのワクチンを打ちに弘明寺の病院にいく妻についていく。駅で別れて、商店街のドトールで日記を書き終わると戻ってきた。しばらく周辺を散歩して2階建てで2階が喫煙席になっている喫茶店でオムライスを食べてそれぞれ仕事をする。古い喫茶店で、レジの壁には山本KID、松岡修造、サンボマスターのサインと写真が飾ってあった。片方は緑のダウンにリュックを背負ったまま座っていて、もう片方は赤いパーカーと黒いニット帽の両方にたくさん英字がプリントされている妙に幼い喋り方をしているおじさんふたりが正面に座っていて、めざましジャンケンは難しいという話や、薬局にドリンクバーがついていて2時間もそこで過ごしたという話をしていた。

日記の続き#275

横浜に帰ってきた。松江はずっと曇りだったので日光がありがたいが、日中ずっと商店街のスピーカーから流れる正月の琴の演奏が聞こえて気が滅入りそうになる。

「他人の日記」にさっそく6人くらい日記を共有するひとが集まっている。意外だったのはもとからウェブで公開している日記ではなく、個人的に書いている日記を共有するひとが多いことだ。僕はてっきり個人的に書いているひとはひとに読まれたくないひとだからこういう場には来ないだろうと思っていたのだが、そういうわけでもないようだ。ここ2年日記についていろいろ考えてきたけど、私秘性を所与のものとしないために誰にも読まれないままひたすら書き続けられる日記があるということをフレームから除外してきた。誰にも読まれないからといって誰のことも気にしていないかというとそうではないのだ。しかしなぜ日記は読者を求めるのか。

日記の続き#274

さいきんいよいよツイッターに見切りを付けたひとが増えているのかdiscordのサーバーを立てて告知しているひとをよく見るようになったことと、ウェブでこつこつ日記(的なこと)をやっていても現状のSNSだとそれがどういうひとにどれくらい読まれているかという手応えが得にくいのが気になっていたことが頭のなかで合わさって、日記を書くひとのためのサーバーを作ろうと思った。いまそういうハブになれるのは僕くらいなのではないかとも思う。作った部屋は三つ。自己紹介がわりに自分の日記を紹介する部屋、日記を更新したときにそのリンクを貼る部屋と、日記のためのメモを書き留める部屋。申請があれば誰でも入れるが、日記(文章でなくてもいい)をやっていないひとは投稿することがないので読むだけになる。あるいはこのサーバーにだけ公開する日記をグーグルドキュメントか何かで書いてもいい(ただし転載・流出を阻むのはモラルだけだ)。私語厳禁とは言わないが、そのための部屋がないので雑談のようなものが生まれることはないと思うし、そういう冷たい場があってもいいと思う。 よっぽど誰かと話したければDMを送ればいい。以下のリンクから参加申請できます。サーバーの名前は「他人の日記」。

discordサーバー「他人の日記」招待リンク

日記の続き#273

部屋に置く低い椅子がほしいなと思って調べていたら中古のよさそうなイージーチェアがヤフオクに出品されていて、10000円だったので10500円で入札して、昼寝して起きると14000円で誰かが落札していた。トンガで起こった噴火が引き起こした波が、12時間ほどかけて日本の夜中に届いた。旅客機よりは遅そうだが、かなり速いのだろう。火山の名前はフンガトンガというらしい。(2022年1月15日

日記の続き#272

美保関にある神社に初詣に行く。妻の両親の車の後部座席に座って、このような息子的なポジションにいるだけでそれがひとの家族であってもある程度落ち着けることに静かな驚きを感じていた。港から少し歩いて坂を上ったところにある神社に参って、灯台に移動する。東には湾を挟んで境港と大山が、ちょうど晴れ間にさしかかって北には隠岐の島が見える。かつては西は福岡、東は新潟と繋がる主要な港だったのだと聞く。ときおり両親のスマホが同時に鳴って、義理の姉からのLINEが来ているのだと気づく。妻も普段家族のグループチャットで何かやりとりしている。息子らしく後部座席に乗るのはできても、グループチャットはできないなと思う。

日記の続き#271

いまだに「日記の続き」という名前に馴染めずにいるので#270でやめてまた普通の日記を丸一年やればちょうどぜんぶで1000日ぶんになるからここでやめるか迷ったのだが、このまま#365までやってあと100日ほどを博論本初稿のリミットとして考えたほうがいい気がしたのでそうする。

妻の実家で夕食に余った鰤の刺身をしゃぶしゃぶにして食べる。大きい画面のテレビがついていて、文脈のわからない会話が取り交わされていて、それだけでどっと疲れてしまった。ちゃんと見ない、ちゃんと聞かないということのほうが難しい。僕はリラックスするために非常な努力を要するタイプなのかもしれないと思う。喫煙や視線の操作、喋り出しの声の調子、いつのまにか身についたそういう作為的な手管を張り巡らせていて、最近はそれが逆にひとに緊張を強いることがあるということに気がついてきてしまった。どうすればいいのか。

日記の続き#270

早起きして荷造りをして羽田に向かう。蒲田から海のほうへ折り返して、大きいマンションのあいだを縫っていく。ドアには個別性がないがベランダにはあると気づく。荷物を預けてコーヒーを飲みながらiPhoneで日記の下書きをした。米子空港まで車で迎えに来てもらって、妻の実家でおせちを食べた。花と鳥で対になった軸のかかった床の間に伊勢海老の木彫が置かれていて、畳に敷かれた赤い絨毯のうえに朱塗りの膳が4つ並んでいる。なんだか公家みたいな正月だねと妻に言うと、久しぶりに集まったから張り切っているのだと言った。400年前のものらしいお屠蘇に口を付けて、田作りや黒豆をつまんでから膳を下げて、ちゃぶ台に重箱を広げる。喪中とのことで年賀状が出せなかったが、うちの両親が先年は大変お世話になったと申しておりましたと言う。直前でコロナになって来れなくなった姉夫婦のぶんおせちがたくさん余ったので、僕があとで食べますと言って別の箱に詰め替えて、祖父がかつて住んでいたマンションの部屋に移ってやっと荷解をした。親からの言づてをして、余ったおせちを引き受けて、これはどういう正月だろう、真心と形式性が骨絡みになっていると考えながら、敷いた布団のうえでストレッチをした。