日記の続き#330

大戸屋に入る。席に着くとラミネートされて壁に貼られた紙を指さして、店員がこちらからもご注文いただけますと言った。「も」に置かれたかすかなアクセントにこちらの出方を推し量る緊張を感じる。あるいはまだそれが「も」であることを彼女自身そのつど確かめているような。紙の真ん中にQRコードがあって「非接触型セルフオーダー」と書かれている。非接触−セルフ−オーダー。「も」のアクセントに応えるように、こちらは頭のなかで文言をハイフンでバラバラにする。接触せず、自分で、注文する。接触せず、自分で、命令する。接触しないよう、自分に、命令する。新型コロナウィルスの感染症法上の位置づけが従来の「2類」からインフルエンザと同等の「5類」に引き下げられることが決まり、こうした、感染予防という方便のもとに様々に組織されたフーコー的な意味での「技術」が、その大義を失ってなおおそらくむしろ拡大するのだろう。それにしても「非接触型セルフオーダー」とは。まず、何が接触で何がそうでないかというのは、多かれ少なかれ恣意的な判断である。というか、店員に注文を告げるのが「接触」かどうかなど3年より前には考えもしなかったはずで、これは接触かどうか、その未決定ゾーンはそのまま「もしかしたら払わなくてもいいコスト」の領域に見えてくる。それを盾に取った情報−コンサルタント−企業が円グラフを持って店舗にやってきて、客は端末の「キャリア」となる。そう、「非接触型セルフオーダー」とはパラフレーズするまでもなくそのまま「客は端末のキャリアである」というテーゼだ。大戸屋のテーブルで注文することと、あらかじめスマホから注文して並ばずにスタバで飲み物を買うこと、あるいはUberEatsで注文した焼肉弁当が実在するかわからない「店舗」から玄関先に届けられることのあいだの違いは、ますます縮減されていく。 製造においては国境をまたぎ、供給においては玄関先まで進出するサプライチェーンのなかで客は端末になり、店舗は工場になる。客が客であること、店が店であることの条件を再設定しなければならない。それは「それが接触かどうかなんて考えもしなかった」、その非思考の条件でもあるだろう。