日記の続き#340

日記ワークショップの3回目。今回も冒頭に30分ほどのミニレクチャーをする。下北沢に向かう前に3時間ほどでスライドを作る。専門ではない歴史の話でちゃんと作れるか心配だったが、いままでいろいろ読んできたものをまとめたらかたちになったので、勉強はしておくものだなと思った。ドナルド・キーンの『百代の過客:日記にみる日本人』を話の起点にする。彼は一方で日記を近代的な私小説に繋がるものとして日本文学の伝統の連続性(「月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり……」)を主張し、他方で文学的な日記と非文学的な日記を分割することを作業の土台にしている。これを循環的だと批判するのはたやすいが、面白いのは彼自身、太平洋戦争の戦場で遺棄された日本兵の日記を翻訳する軍務を通して日記に出会ったことだ。つまり彼はおよそ文学的ではない軍事的情報を目当てに読んだ日記から、日本人はなぜこうまでして——敵に情報が渡ることを省みず——日記を書くのかと日記研究に向かっており、文学的/非文学的の分割は彼の動機においてすでに失効させられている。彼は「文学的才能」が感じられない兵士の日記も、ひとたび出撃の命令が出たりマラリアに罹ったりすると「痛い!」という単純な言葉が「ほとんど耐えがたいほど感動的」になると言っている。収集された大量の日記について、キーンは「理由はともかく」日本人は日記がよほど好きなようだと言って序文を閉じ、『土佐日記』や『蜻蛉日記』に始まる日記文学の歴史に分け入っていく。レクチャーの本論では近代日本人が日記を書く「理由」を、戦争と教育の観点から整理して、最後に文学における写実主義的なイデオロギーと当時(明治30年前後)の言語政策の交差点に日記があることを確認した。がんばった。しかしレクチャー後のワークショップも含め、僕はストイックにやりすぎなのかもしれないと思った。