日記の続き#355

共訳書の初稿ゲラが来ていて、僕はおもに形式的なところをチェックすることになっている。註の位置と番号の対応の確認、註のなかの書誌情報などの表記の確認、そして本文全体の強調箇所等の遺漏がないかの確認。こう書くと作業自体は単純そうなのだがなかなかそうもいかず、まず原書は註番号がページをまたぐと1に戻るのに対して翻訳では章単位で通し番号を振っており、原書に通し番号を振りなおすところから始める必要がある。加えて、原書は脚注形式なのに対して翻訳は本末尾にまとめられているので、ゲラの束を各章と註にわけて綴じなおし、机に当該の章と註のゲラを広げ、iPadであらかじめ註の通し番号を振って強調箇所にマークをした原書PDFをパソコンのモニターに表示してその三つを行ったり来たりしながら作業をしている。このやり方に行き着いたのも、iPadとパソコンでむりやりPDFデータだけで第1章をやって、これでは目が滑ってダメだと気付いてからのことだ。思い返してみるとデータでやろうとしたのは、たんにフリクションボールペンを持っていなかったからで、こういうことってあるよなと思う。100円のペンをすぐ下にあるコンビニに買いに行くこと、あるいは妻に貸してもらうことに対して、なにかの具合で心理的にスタックしてしまうのだ。その複合を辿ってみると、合理的な、あるいは心情的な諸々の理由の下に、フリクション本体とインクのあのコシの抜けた赤、安いコピー用紙のあの湿った引っかかりのある触感への忌避感がある。