布施くん・八木くんの二人展でトークの日。早めに会場がある六本木に出て、喫茶店で原稿を書く。駅を出てすぐの交差点、雑居ビルの6階にある店で、窓から首都高が見下ろせる。何も考えずにおすすめされたコーヒーを頼んだら、レジで1500円と言われてびっくりした。
展示はこないだまでノンアルコール専門のバーが入っていたビルの3階のギャラリーで、その店のことは以前見かけて知っていたので閉店していて驚いた。sober curiousというカルチャーがあると聞いたことがあるが、そう言っているだけというか、少なくとも六本木の街でわざわざ素面で過ごそうなんていうひとはいないのだろう。
会場に入ると、背が20センチほどもあるぶ厚い本が、6パターンの置き方で棚に展示されている。1冊くらい自由に触れるものがあったほうがいいように思う。八木くんが作った3DCGモデルに英単語をマッピングしていて、各ページがその断面になっている。大規模言語モデルの意味空間を模したものらしい。壁には作品はモデルの断面を光の三原色のアクリルに印刷し重ね合わせ、それを3×3のグリッドで分割し、さらにその配置を作品ごとに組み替えたパネルが展示されている。パネルを支えるアルミのフレームがものものしい。
1フロア上の事務所でスタッフのひとと打ち合わせをして、本を触らせてもらう。扇状に開いて立てておくと、空調の風でページがさわさわと揺れて、これを見るための作品なのだろうと思った。
トークは、自分より若いお客さんばかりで、みんな熱心に聞いていて、喋っている自分にとっては不思議な乖離感があった。来るときはなんだか保守的なことを言っていく役回りになりそうで、そうなったら嫌だなと思ったが、ちゃんと言うことは言いつつ新しい話も引き出せたと思う。
「砂の本」と言うが、ボルヘス的な言語の夢は、「バベルの図書館」でもそうだが、語の統計的な偏りを完全にフラットにすることである。そのロマンティシズムと大規模言語モデルは真逆のものだ。前者を後者でむりやり読み替えるとき何が起こるのかというのが今回の作品だと思う。そしてその「むりやり」のところに3DCGが入ってきている。これはデュシャン的な4次元の切断でもあるだろう。アートは「むりやり」でいいと思う。しかしデザインはそうはいかない。そのそうはいかなさはこの展示のどこにあるのか。そういう問いを念頭に置きながら、文章を書く者としての立場から話した。
ドラフト進捗31035字(前日比+855)。