1月26日

深夜、お腹が減って、夜中でも開いているいちばん近所の店が松のやで、その松のやに行った。とんかつ定食の食券を買って水を注いで席について、これから食べる豚がいかに優れた豚であるかを宣伝する店内放送を聴きながら番号で呼ばれるのを待っていた。

壁にはこれもまたこれから食べる豚がいかに優れた豚であるかを宣伝するポスターが貼られており、店を見渡すと、松屋グループの廃油が飛行機の燃料に使われている旨を知らせるポスターも貼られていた。なんと年間で東京大阪間を238回飛ぶ量の廃油が提供されていて、それは「FRY to FLY Project」と呼ばれているらしい。久しく見ない愉快なニュースに元気が出た。ピンチョン的なユーモアというか。豚を揚げる。飛行機を飛ばす。なんだっていいのだ。

年始からじんぶん大賞受賞の知らせがあったりして、気持ちが落ち着かない状態が続いていた。受賞自体は発表の直前に知らされていて、その時点でひととおり喜んでしまったので、発表以降はむしろネガティブな反応ばかり気になってしまったのかもしれない。なぜだかずっと悔しくて、ほんとに悔しくて、ちくちょうちくしょうと思っていて、松のやのおかげでやっと、受賞したのにこれだけ悔しがれているのならまだ大丈夫だなと思えるようになった。それにしても、これもまた嫌味と思われそうだが、賞は体に悪いですね。いまはまた楽しくなってきた。これもまたウソつけよと思われそうだが、『非美学』も基本的には楽しく生きていくための愉快な本ですからね。ドゥルーズの本はぜんぶそうだし。

サブスクを始めてふたつの記事はなんだか思いのほか気張って書いてしまったので、今回は近況と、この場で今後やりたいいくつかのことについて気楽に書こうと思う。

フィロショピー第2期ももう折り返しに突入していて、第3期はいちど趣向を変えてふつうの連続講義にしようかなと思う。テクストと講義を往復するのに疲れたひともいるだろうし。初夏に日記本が出る予定なので、それに合わせて、非常勤でやっていた日記と哲学の講義をブラッシュアップさせて全10回くらいでやろうかな。権力は発言を抑圧するのではなくむしろ奨励すること、そのなかで書いたり表現したりすること、その両義性の場として生きることを考えること、日記は反自伝であること、等々を実際自分が3年続けて日記を書いて考えたことや、ドゥルーズ、フーコー、デリダの言語論・文学論を使って話したい。SNSも含む、個人的な表現と制度の交差点として日記を考えることもできるし、そういう身近な話からフランス現代思想にも入門できる。いい企画だと思うのでお楽しみに。

直近でヤバいのは、もうすぐ締め切りのヴェネチア・ビエンナーレのレビューがまだぜんぜん書けていないことだ。そもそもヴェネチア・ビエンナーレなんかにいま誰が感心をもっているのか。まあ独立した文章として面白いものになるよう書けばいいのだと思う。こないだ書いた曽根裕さんの個展に寄せたエッセイ(会場で販売されているブックレットに掲載)を書いたときに、曽根さんと自分のあいだにある空間のちょうど真ん中に置くように書く、つまり、自分に引き寄せたり彼の作品にすべてを預けたりせずに、両者の接する線をなぞるように書くということができた感覚があって、それを拡張できればいいなと思う。あれは新しい感覚があった。実際評判もいいし。ギャラリストのミヅマさん(80歳で、めちゃめちゃ元気)も気に入ってくれて、曽根さんもそうだが、SNSなんか歯牙にもかけない元気な老人に自分の仕事が届くと嬉しい。僕含め若者も中年もイライラしすぎだから。それで言えば曽根さんはもっとも愉快に『非美学』を読んでくれているひとのひとりだと思う。

元気を削がれた要因のひとつに先日のゲンロンの若手批評イベントがあったと思う。批評はどうあるべきかという話で、僕としてはどうもこうもなく批評の外にあるものと関わってこその批評なのだからと思って盛り上がりを横目に見ながら魚豊についての文章を書いたりしたのだけど、ともかくあれはそれぞれの仕事の内容についての話がなくて、「批評」という言葉がその迂回のために機能しているようで自分が出ているわけではないのにダメージを受けてしまった。まあそれだけ気にしてしまっているということでもあるのだが。

サブスク上でやりたいことのひとつは、相談を募集して、それに回答するのではなくただ相談文を添削し、そのビフォー/アフターを公開することだ。いま「ビフォー/アフター」と書いて思ったが、それこそ僕は匠で、「リフォームの匠」が出てきたときはイジられたりもしたし、企画タイトルは「添削の匠 相談文ビフォーアフター」とかでいいのかもしれない。

この企画を思いついたのは、まず、「相談」って強いなということで、SNS上でも質問・相談を文章のかたちで募って解答するマシュマロやmond(こう書いていま、ひょっとしてこれって「問答」から来ているのか?と気づいて恥ずかしくて鳥肌が立った。いや、「添削の匠」も十分恥ずかしいか)サービスが流行っていて、解答せずに添削だけするのはいい感じのスカし方かなということがひとつ。あれで何かが解決しているようには思えないし、相談者と回答者の非対称な相互承認自体が「拗れ」の要因でもあるはずで、それは回答者の道徳的スタンスとは別の構造的な問題だ。

もうひとつは、こないだフィロショピーで講座の感想をエッセイとして募る「フィロショ感想文コンテスト」をやって、応募作すべてを僕が添削してリライトしてもらったのだが、そのプロセスがとても面白かったことだ。実際、大学に行ってレポートを書いても点数がつくだけで細かく添削してもらうことはほとんどないし、応募者の方々からも添削・改稿によって晴れ晴れとした気持ちになったという感想をもらった。悩みは答えではなく添削を必要としているのかもしれない。哲学の世界でもよく「うまく問いを立てられた時点で仕事は9割終わっている」という言い方がされるけど、それと似たようなことが悩み事にも言えると思う。

あと、ここではもっと創作というか習作というか、もうちょっと実験的な文章も書いていきたいし、誰かに寄稿依頼したり、動画や音声を上げたり、いろいろやってみたいことがある。

論より証拠より説説

水曜日のダウンタウンの最大の歴史的な発明は、ドッキリやリアリティショーの新しいかたちにあるのではなく、「説」という言葉の使い方にあるのではないかと思う。

開いた口を模したフレームのなかに大正レトロ的(?)なキッチュなフォントで書かれた「説」はもはやネットミームにもなっている(いまググったらすぐに「ロマン雪」というフォントだと出てきた)。特徴的なのは「〇〇という説」とか「〇〇の説について」ではなく、「ビートルズの日本公演で失神した人、今でもビートルズ聴き続けてなきゃウソ説」や「ドッキリの仕掛け人、どんなにバレそうになってもそう易々とは白状できない説」のように、長いセンテンスの末尾にただ「説」と付けるという、ちょっとつんのめるような感覚のあるフォーマットを使っていることだ。

これはおそらくライトノベルのタイトルから来ているものだろう。たとえば「転校生が死んだ姉にそっくりでどうしたらいいのかわからない件」(思いつきで書いた架空のタイトル。ちなみに僕には姉も妹もいないのでシスコンではない)みたいな「件」と水ダウの「説」の用法は、直接の参照関係があるというより、サブカルチャーのなかで培われた言語感覚としてつながっているものだと思う。

加えて、「ドッキリの仕掛け人、」や「失神した人、」のように名詞句を冒頭に置いて助詞を省く書き方はツイッター構文そのままだし、タイトルのフォーマットだけ見ても、バズるべくしてバズったサラブレッド的なミームであることがわかる。

しかしより重要なのは言うまでもなくタイトルのフォーマットではなく、「説」とその「検証」というこの番組の内容がもつ誘引力で、ここには陰謀論の跋扈や保守とリベラルの共依存的な泥仕合といった同時代的な社会状況を考えるヒントがあると思う。

ところで、『チ。』と『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』の作者である魚豊(ずっと「うおとよ」と読んでいたが正しくは「うおと」のようだ)こそ、現代でもっとも深く「説」の問題に切り込んでいる作家だろう。『チ。』は文字通り地動「説」をめぐる闘いの話であり、『ようこそ!FACTへ』は陰謀論というトンデモな「説」がもつ危険なもっともらしさを扱っている。この2作に共通するテーマは、まず説さえぶち上げてしまえば、そしてそれが人々の欲望をある程度焚き付けるものであれば、論も証拠もいくらでも後付けでき、人々の急進性・狂信性をどこまでもドライブするということだ。

したがって『チ。』と『ようこそ!FACTへ』の関係は、前者が社会的しがらみを潜り抜けて「科学的真理」に到達した人々を描き、後者が行き場のない社会的憤懣によって「見せかけの真理」に踊らせられる人々を描くというような、単純な色分けで済むようなものではない。むしろ本当に恐ろしいのは、両作品がメビウスの輪のように互いの背後に滑り込み合っていることだろう。このような複雑な関係が、『チ。』は巨悪との闘い、『ようこそ!FACTへ』はメンターとの出会いによる主人公の能力の覚醒という、少年マンガ的でさえある広く共有されたテンプレートに沿って作られていることも驚きだ。

とりわけ『ようこそ!FACTへ』は、主人公が陰謀論に絡め取られていく過程のディティールを通して——「良識的」な人々にある欺瞞も含めて——現代社会を描いたドキュメントとしても読めるものだ。

(*以下『ようこそ!FACTへ』結末の記述あり。そのあと僕なりの「説」地獄への処方箋を示します。)

主人公の渡辺は、高卒の非正規雇用社員として働く自身の境遇に不全感を抱えながらも、「論理的思考」が得意であるという自認を拠り所として生きている。そして彼にとって論理はロジカルツリーという各要素のつながりや分岐を矢印で図示したダイアグラムに宿る。

このダイアグラムの危うさは、あらゆるタイプの関係を矢印ひとつで因果関係に回収してしまうことにあり、ディープ・ステートとの闘争を画策する組織FACTの「先生」と出会うことで渡辺の能力は覚醒する。たまたま隣り合っていること、たまたま似ていること、たまたま繰り返されることが理由・意味の連鎖に絡め取られていき、世界全体がひとつの必然によって統べられる。とはいえこれは「伏線」の回収や「考察」に熱中する傾向と別種のものではなく、陰謀論者を他者化しないという倫理は本作を貫いている。少年マンガ的な物語類型の使用は批評的なパロディでもあるだろう。

興味深いのは、本作において必然性への閉じ込めが、具体的な距離感あるいはスケール感の失調として描かれていることだ。「東京S区第二支部」という矮小なスケールでの出来事と世界全体の不均衡が短絡するが——しかしそのような不条理な短絡なしに、ひとは「世界をよくしたい」などと思えるだろうか——反対に、渡辺の日常への回帰は遠いものの遠さ、近いものの近さの自覚としてなされる。それは夕日とピザまんの、滑稽な美しさをたたえた対比にも表れているだろう。しかし説明的に描かれているわけではないこの対比をこのように解釈して距離を潰してしまうこと自体がすでに多かれ少なかれ陰謀論的であり、魚豊の資質にはある種の底意地の悪さと区別できない冷徹なリアリズムがあると思う。

ところで、『ようこそ!FACTへ』のテーマが〈誰もが程度の差はあれ陰謀論者である〉ことにあったとするなら、僕が『群像』で連載していた「言葉と物」(とくに第2-3回)のテーマは、〈誰もが誰かを陰謀論者とすることで自身の「現実」を安定させている〉ことであった。前者が「説」の排他的な感染力を問題としているとするなら、後者は「説」をもつことへの畏れとないまぜになった嫌悪感を問題としている。

それはたとえば「思想つよ笑」という揶揄に端的に表れている。誰もが誰かを「狂信者」にすることで自身の実生活の「実」性を護っている。そして、「テロとの戦争」の時代から「コロナとの戦争」の時代への推移と軌を一にしつつ、もはや狂信者は特定の地域や人種として代表されず、誰もが自身にとっての「アルカイダ」と闘っている。引用リツートやスクリーンショットという武器で。

誰もが陰謀論者だという観点も、誰もが自分以外を陰謀論者にしようとしているという観点も、結局は同じ事態を表している。それはあらゆる発言が「説」としてしか機能しないという事態であり、論も証拠も、社会的な立場や属性もひとつの説に向かう矢印に絡め取られる。

しかし言葉は矢印ではない。そして言葉が矢印ではないということは、もはやある程度の長さにおいてしか——といっても2000字程度でも十分なのだが——示されないだろう。われわれが書くのは、たとえ矢印の両端をまたぐ距離を埋めるためであっても、それをまさしく距離として経験することである。われわれが読むとき、それがひとつの矢印をそこから復元するためであっても、そこからこぼれ落ちるものが確実にわれわれの脳裏に残響する。

われわれは夕日を見たり、ピザまんを食べたりする。夕日とピザまんが考察によって接続されるのはそのあとでのことだ。そして逆光によって浮かび上がる東京S区の街影は、どこまでもその接続に無関心だ。

言説の無力化装置としての文化について

どうも、あけましておめでとうございます。日記の更新をやめてから半年ほどが経ちました。そのあいだに『非美学』、『眼がスク』文庫版、『ひとごと』が出て、「言葉と物」の連載が完結し、10年代から考えてきたことにひと区切りついた感じがします。ツイッターはまだ思考の種を撒く場所としても使うつもりだけど、種から苗にするための場としてこのサイトを使っていこうかなと思います。これからここで書くものは基本サブスクにして、月4本くらいをめどにエッセイ的な文章を書いていくつもりなので、ぜひ講読よろしくお願いします。

さて、年始早々おどろおどろしいタイトルだが、最初の記事ということでトーンを測りながらなるべく気軽に書いていこう。

文化って言説を無力化するよなあというのは、ここ数ヶ月のあいだ、毎日数秒ずつくらい頭をよぎっていたことで、しかしそれが深まるわけでも展開されるわけでもなく、ただ「言説の無力化装置としての文化」という言葉が、ポップアップしてきてはスワイプする、つねにいくつか僕の頭の中にあるそういう言葉のうちのひとつになっている。

言説が無力化されるということは、文字通り、「言葉から本来持つべき力が抜け落ちる」ということで、それはたとえば、ものすごく「正しい」意見を見かけたときに感じるある種の乖離感として現れる。

こういうことを考えるきっかけになったのが、Kindleで読みやすい本を探していたときに見つけた『柄谷行人浅田彰全対話』(講談社文芸文庫)で、この本でふたりは、戦後日本について、天皇制について、冷戦崩壊について、アメリカの中東政策について、いまでもほとんどそのまま通じそうなくらい正しい話をしている。とはいえ読んで数ヶ月経ったいまでは具体的な内容はぜんぜん憶えておらず、この本が僕に残したのは「めちゃめちゃ真っ当なことを言っていると思うけど、この正しさってなんにもならなかったよな」という感慨だけだった。ちょっとちぐはぐなたとえだが、ものすごいスピードで互いにさまざまなテクニックを駆使しながらラリーをしている卓球の映像で、しかし延々どちらも球をこぼさないので一向に点が入らず、気づかないうちにどこかでこの映像はループしているんじゃないかといぶかしんでしまうような閉鎖性がそこにはあるように思われた。テクニックはすごい、観ていて飽きない、でもゲームは進まない。

ここで考えたいのは彼らの発言の内容に実際どれくらい正当性や実効性あるか(あったか)ということではなく、あくまでそれが与える印象としてのある種の乖離感についてだ。それは言ってしまえば僕が勝手に感じたものであり、したがって原因は文章の側にではなくむしろいま僕の心のどこかに巣喰っている虚脱感にあり、それにどうにかこうにか形を与えてみたい、そしてそこにたんなる僕の個人的な境遇や性向を超えたものがあるならそれを取り出してみたい、というのが、この文章のモチベーションだ。

文化は言説を無力化する、というのは、一方で極大まで敷衍すればフィクション全般に言えることでもある。舞台上で演じられる殺人は実際の殺人を無力化したものだからだ。でもそれはここで掘っても詮ないことだ。

他方でその感覚は、僕がふだん自分の仕事の方針を決めるときの具体的で実践的な勘のようなものにも関わっている。こっちに進んでみよう。

僕は自分のための警句みたいなものとして、「友達の友達圏」に気を付けろとよく頭のなかで唱える。友達は友達でいい。それは人生のギフトだ。しかし友達とばかり仕事をしていてもしょうがない。そして新しい仕事というのは、とくにまだ若くて仕事の規模が大きくない場合、まったく知らないひとからではなくたいてい友達の友達圏からやってくる。そのたびごとにあなたは、あなたの仕事がひとつの文化のなかに落ち着いて無力化するか、そこからはみ出して独特のオーラを獲得するかの分岐点に立っている。友達の友達圏に気を付けろ。それは相互承認の居心地のよさと引き換えにあなたをスポイルする。

この話で思い出すのは、『眼がスクリーンになるとき』という最初の本を出したのと同時に、ある雑誌の濱口竜介特集に寄稿依頼があって、それを断ったことだ。2018年で、僕は26歳だった。まだ商業誌にまとまった文章を書いたことはなく、普通に考えれば一も二もなく引き受けるべきだ。でも僕は、当時めちゃめちゃ調子に乗っていたのもあるが、原稿料を倍にしてくれれば書くと言って実質一方的に断った(実際締め切りも原稿料もめちゃめちゃな条件だったのだ。倍にしてくれと言ったらどなたも一律なのでそれはできないと返され、それはそちらの事情で一律だから安くても我慢しろというのはおかしな話だと言った。企画の面白さとか熱意があればいくら安くても書くつもりだが、実際熱意があるひとは他の条件もちゃんと考えてくれる)。

要は舐めんなよと思っていたということで、「濱口竜介」、「蓮實重彦」、「黒沢清」といった名前からなるネットワークとしての友達の友達圏になどぶら下がるつもりはなかった(実際ちょうどその時期、僕の指導教員だった平倉さんが濱口さんを大学に呼んで連続ワークショップをしていて、僕はそのアシスタントをやっていて、文字通り友達の友達的な距離だった。僕などにも丁寧に接してくれる素晴らしい方だったが、僕とは見ている世界がぜんぜん違うなと思った。作品もいくつか見ているがその印象は変わらない)。しかしそれは同時に、どこまでも打算的な判断でもあって、ドゥルーズ『シネマ』の解説書を出して濱口竜介の作品を評してというのは、あまりにわかりやすいし、書いていたらもう「そういうひと」になってしまっていただろう。いっさい映画作品の名前を出さずに『シネマ』を解説するという『眼がスク』のある種の反権威主義的なスタンスは何だったのかということにもなるし。

友達の友達圏としての文化によって無力化されるのは、つまるところ、「自分がひとりの人間であることのヤバさ」みたいなものなのだと思う。映画批評にしろ哲学研究にしろ文フリを中心とした若手批評界隈(このあいだ初めて文フリに行ったのだが、驚いたのは批評島の閉鎖性以上に、当の閉鎖性について誰もが自戒を込めて語っていたことだ。そして来年も再来年も同じことを自戒を込めながらやるのだ)にしろ、あるいはお笑いの世界にしろ格闘技の世界にしろ、ひとつの文化に養ってもらうことと引き換えにひとりの人間としての自分の拡張性というか、放埒さみたいなものを手放してしまうひとは多い。文脈と人脈。それはどちらも個々人のいびつさを均すものだ。儲かる儲からないで言えばひょっとするとそっちのほうが儲かるのかもしれないし、そういう世界のほうが安心して見られるのは確かだ(人文知と「ゆる言語学ラジオ」的なものの接近に僕はそういう傾向を見ている)。したがってこれは実益の問題というより最終的には生き方の問題だ。

たとえば漫才の世界には「人(ニン)」という価値観がある。これは僕の理解では、漫才を閉じた世界として仕上げることとはべつに、芸人の人間性が芸に表れていることを指す言葉で、「ニンがよく出ている」と言ったりする。つまりニンを評価するということは、舞台の外の芸人の生き方の表れとして舞台上の芸を評価するということで、それは「キャラ」とも「素」とも少し違うと思う。むしろ様々な場面でのキャラのギャップみたいなもの(たとえばラジオと漫才とロケ番組でのオードリー春日のキャラのギャップ)が漫才という場にフィードバックされて、それを客が面白がるということだろう。

あらゆる文化にはニンを抑圧する側面があり、それが「様式」や「制度」と呼ばれる。それだけ見れば民主的なものにも見えるが、結局たいてい東京という都市や大学という権威に人脈が集中したひとつの「階級」の場である。それが気に入らないという気持ちもないではないが、そういうものは今後AIのほうがよっぽどうまくやるだろうとも思う。人間はほっといてもいろんなことを感じるし、それがめちゃめちゃ偏っていたりする。それぞれの人格はほとんど出鱈目な出来事の集積で形作られている。そしてそのほとんどを憶えてすらいない。そのある種のスカスカさみたいなものを、ひとつの文化に自分を押し込めることで埋めてしまうのではなく、そのままで面白がることは、勇気の要ることだと思う。でもそういう勇気くらいしか、僕が他人に示せるものはないんじゃないかと思っている。そして僕にとっては、それ自体スカスカなデータ形式である文章がそういうことをやるのにちょうどいい。だからここでもバラバラと書いていこうと思う。