本当の語彙力とは、ある語の使用範囲と価値の変動に敏感であることなのではないか。
高校の頃、初めてノイズキャンセリング機能が搭載されたウォークマンを買って、これから「キャンセル」という語は、予定の取消しみたいなこととは別の文脈でどんどん使われるのだろうなと思った。いまでもそのときの感触をよく憶えている。
「キャンセル」の使用範囲はどのように拡張し、なぜ「セルフ」はセルフサービスの略語として定着し、「民主主義」と「成熟」が結びつくようになったのはいつからなのか。こういう問いこそが言語の問いで、オノマトペや記号接地のハードプロブレム化自体が目くらましに見える。
ここまではこないだツイートした内容で、これに関連して考えたことを書いておこうと思う。