月: 2025年5月
5月30日
5月29日(『暇倫』あるいは「可処分時間」への疑義)
5月28日(シットとシッポ収録、5 Star Cowboy、セネカ孫引き)
5月27日(ひとり立教ヌーベルバーグ、AI大学生、プルードン曾孫引き)
5月26日
作業は微妙。たくさん歩いて、次のカフェに入って作業するのはやめて丸亀製麺に入った。かけうどんとかしわ天。バットを持ってレジに行くと、客のおばちゃんが店員のおばちゃんに「握手しよー」と言いながら近寄ってきた。店員は「えー?ゴミ?」と言った。
今後のサブスクの方針について
いままで「アウトレットル」という名前でやっていた月額400円のサブスクを、値段はそのままで名前を「日記」に変えて、毎日更新にすることにします(アウトレットとフランス語で文字・手紙を意味するレットルを掛けていたのだが、ほとんど誰にも伝わっていない気がする。そもそも名前がよくなかった)。
もともと月約4本のエッセイを載せるということでサブスクを始めたのですが、軽いものでいいとわかっていても「原稿」だと思うと自分で勝手にハードルを上げて、負担に感じて先延ばしにしてしまっていました。去年まで3年間続けていた経験からも、毎日更新のほうがかえって書きやすいし、僕自身の生活のありかたにとっても、読者の方々の日々のひとつの読点になるという意味でも、毎日更新のほうがいいのではないかと思います。
なんというか、日記を書いていたときのほうが、感想や「いいね」のような明示的な反応がなくても、読者のひとといい感じで握手できていた、というか、その沈黙や距離がいい感じなものとして感じられていた、という感じがあり、日記をやめて『非美学』や『ひとごと』を出してから、沈黙が怖くなってしまっていたなと思います。でも基本的にはどこまでいっても読者は「サイレントマジョリティ」なのであって、沈黙がキツく感じられる状態は健康的ではないなと。
さきほどさっそく今日の日記を書いたので、ぜひ講読をよろしくお願いします。
5月25日
日記を再開する。3年続けて書いた日記が終わって、ちょうど1年くらい経った。いまフィロショピーで「日記の哲学」をやっていることとか、「シットとシッポ」でも日記についてよく話していることとか、そういう外在的な理由で日記を書くのがどういう感じか再確認したいというところもあるが、なにより、なんだか自分がばらばらにほどけてしまいそうな感じがある。