3月27日

いつもの整体。早めに着いてポリエステルの上下に着替えて待っていると、いつもの整体師が楽しそうに客と話しているのが聞こえてきた。こちらが本来の彼女で、僕と話すときは僕に合わせて静かにしていたのだろうかと不安になった。むしろ僕は明るく話すように努めていたのだが。聞かれたことしか答えないからかもしれない。その日は彼女に担当してもらう最後の回で、この前4月から藤沢店に異動するという話を聞いていたのだった。うつ伏せになって施術を受けながら、ゆっくり息をすることだけを考える。彼女は大柄で力が強い。腰回りの緊張はもうだいぶ取れているので、首と肩を重点的にやってもらう。背骨の両脇を何往復か指圧する。後ろから取り押さえるように背中に手を置いて、浮き上がった肩甲骨を外側に引っ張る。首を横に傾けて露わになったほうのうなじを押す。異動の話がぜんぜん出ないので延期かなにかになったのかなと思っていると、会計のときに引き継ぐ整体師の名を伝えられたので、おかげさまでよくなりました、次のお店でも頑張ってくださいと言って帰った。

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3月26日

原稿をworkflowyで書き始めて、ちょぼちょぼとしか進まないのが自分のせいなのかインターフェイスのせいなのかわからず、ずっとひとりで書いているのが急に寂しくなってきた。ついこないだまで踏ん切りをつけるのに3年かかった28万字の文章に苦闘していて、そのあとに前回の1万2000字を書いて、また1万字を書こうとしている。書きたいことはあるような気がするが、書いてみないとそれが一列の言葉になるものなのかもわからない。考えてみてもほしい。3年間、この日記を含めれば誇張でなく100万字くらい、ずっと無視されているも同然の状態が続いているのだ。対話篇にはせずとも、そう思えるような仕組みが必要なのかもしれない。クレジットの請求額と口座残高を見比べてアマゾンで本を6冊注文した。

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3月25日

丸1年、全17回(予定より2回延びた)神保町のPARAでやってきた『存在論的、郵便的』講読の最終回だった。こういう本は放っておくとあっという間に読めないものになるのだろうと最近、『非美学』を書き終えてなおさら強く思うようになった。デリダ論としては読まれるだろうし、日本の批評・哲学の歴史のなかでの東浩紀研究としても読まれるだろう。でもそれでは、なんと言えばいいのか、たとえばこの本で語られる「転移」の複数性と、それをこの本自体に埋め込むためのパフォーマンスとしての中断がどういう切迫感のもとでなされているのか、その「動機」のようなものは復元不可能になるだろうと思う。それが復元されるのは、精読や方法論的なレベルも含めた構造分析によってではなく、分析する側が自分自身の存在を払い出すことによって、つまりこの本がそうしたのと同じだけのチップを賭けたうえで、ある細部から別の全体性に跳ね返るような批判をすることによってだ。読み替えることと復元することの切り離せなさを引き受けることのできるような、自分なりのスタンスをもつこと、そういうことを「批判」と呼ぶのだと思う。今回はあらかじめ長めに時間を取ってもらったのだが、結局さらに30分ほど押して終わって、最後に、これだけ具体的な手触りとともに読んだ哲学書は忘れてしまっていい。「郵便」やら「誤配」やらを引用・活用するより、正しく誤配として各々の実践に跳ね返るはずなので、と言った。

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3月24日

原稿を書かねばならないのだが、頭のなかでフィロショピーの枠組みと趣旨についての考えが走り出してしまっており、そちらを動かすことにした。難しいのが、連続レクチャーに一括で課金してもらうようなサービスがないということだ。単発のイベントであればpeatix等で簡単にチケットが売れるが、通し券の仕組みがないし、複数のレクチャーを同時に走らせるときの一覧性がない。WordPressで作ったサイトにeコマースの機能を組み込むこともできるが、baseやstoresに比べると開店のハードルがずっと高い(事業者であることの証明がないとクレジット支払いを受け付けられない)。それをクリアしたとしても、概要と配信リンクの入ったPDFデータなりなんなりをチケットとして買ってもらうというかたちになるが、それもなんだかしっくりこない。とりあえずpeatixのアカウントを取って、初日をイベント日としてチケットを作って、タイトルやチケットの名前で「全6回」であることを強調するかたちでひととおりテストしてみる。企画としての全体性・一覧性・アーカイブ性はサイトのほうでしっかり把握できるようにして、peatixはあくまでチケット売り場として使う方向性で考える。『差異と反復』と『地の考古学』の文庫本とパソコンを持って珈琲館に出て、ひと息で惹句と概要文を2冊ぶんworkflowyで書いて帰った。

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3月23日

こないだ作って美味しかったのでもういちど春キャベツとアンチョビのペペロンチーノを作った。塩を入れた湯を沸かしながら具材(にんにく、イタリアンパセリ、キャベツ)を切って、冷たいフライパンにたっぷりのオリーブオイル、たっぷりのにんにくのみじん切り、細かくちぎった小さい唐辛子ふたつを入れて、5分半で茹で上がる細い麺を鍋に入れる直前に火にかける。にんにくに火が通ったらアンチョビのフィレを入れる(にんにくが焦げそうであればすぐ火を止める)。麺が茹で上がる2分くらい前にざく切りにしたキャベツを入れて中火で炒め全体にオイルが絡まったら、麺と合わせたときにほんのちょっと汁気が余るくらいをめがけてパスタの茹で汁を加える。茹で上がった麺、刻んだイタリアンパセリ、オリーブオイルを手早くフライパンに入れて軽く混ぜ、汁気を見て皿に盛る。

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3月22日

朝、初稿ゲラの最後の確認。決め切れていなかったことが奇妙にも淡々と進んで、排水口に最後の水がふっと吸い込まれるようにあっけなく終わった。気が楽になったので中目黒に展示を見に行くことにして、打ち合わせ場所もそちらに変えてもらう。妻と一緒に出かけて青山|目黒に向かう。千葉さんが作品を出している「具ささ」を見て、向かいの喫茶店で編集者を待つ。煙草が吸える良い雰囲気の店で、店主のおばちゃんが客と元気よく話している。背の高い中学生はカナダ留学から帰ってきたところで、小さい頃からこの店に来ていたらしい。妻が買い物をするために店を出て、入れ替わりで編集者が到着する。中学生は友達と遊ぶ約束をしていたのを忘れていたと出て行って、あとで母親がタクシーでチャーハン代を払いに来た。こんどは店の電話が鳴って、19歳なのだが店で煙草を吸っていいかと聞いてきたらしい。しばらくしてその青年が入ってきて、僕の背中でおばちゃんがここは煙草が吸える店で、あんたが言わなきゃ年齢なんかわからないんだからと言って、彼は力なく返事をしていた。まだ世界に摩擦が存在することを確認するようにゲラを見終わった編集者と再校のための細かい決め事と広報・営業の方針について話して、彼と一緒にもういちど展示を見て、青山さんと3人ですこし世間話をして帰った。少なくとも、ゲラのぶん鞄は軽くなった。

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3月21日

デエビゴを処方してもらいに病院へ。医者が疲れているように見えた。ひと月ぶん出してもらう。裏の薬局に入る。テレビで大谷翔平の通訳がギャンブルに大谷のお金を使い込んだニュースが流れている。マスクをしていて60歳と40歳にも、40歳と20歳にも見える姉妹のような親子が、さらにその母親の代わりに薬をもらいにきている。浮気かなんかでしょ——ギャンブルじゃなかった?——もらったお金でギャンブルをして何が悪いのかととんちんかんな話をしていて、いまそこで流れているテレビをなぜ見ないのかと思ったが、実家の居間にいるみたいでそういう気持ちが懐かしかった。薬を受け取って外に出ると、母親のほうが軒先に座り込んでアイコスを吸っていた。

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3月20日

水曜だが休日。春分の日。でも関係ない。あさって返す初稿ゲラをもう一巡、全体の半分くらい見返した。書き換えたセクションとの整合性を確認して、ペンディングにしていた箇所を確定して付箋を外していく。朝から晩まで。背中が強ばって、眼が痛くなる。でもここ2年くらいかけて、そういうことのやり過ごし方がわかってきた。最低限のストレッチ、最低限のマッサージ、最低限の深呼吸、最低限の仮眠。

「概念」と呼ばれるものが、どういうふうに作られるのかわかってきた。それはなにか別の作業の副産物として出てくる。ジグのようなものだ。何かを組み立てる。まだ組み立っていないものを支えるために、ジグが必要になる。組み立ててしまえばジグはもう要らない。それを誰かが、あるいは未来の自分が、またジグとして使うかもしれないし、あるいは別の何かの部品に使うかもしれない。そういうものだ。誰かがもういちど使うまでそれは概念ではない。これは「解釈の自由」とは異なる。解釈は解釈する対象との関係に依存するが、余ったジグを別のものに使うことは、もとの組み立てられたものに依存しないからだ。だから、たとえば、僕は『眼がスクリーンになるとき』を書いたあとで「リテラリティ」が概念のように受け取られたことが、嬉しくもあり、たんにドゥルーズの使っている言葉の、邦訳版でバラけていた訳語を揃えただけなんだけどなと思っていた。でもそういうものなのだ。

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3月19日

3日ほどかかって、『非美学』のあるセクションをまるごと書き換えた。そこさえ軽くなれば、あとは読者を引っ張っていけるだろうと言ってもらったからだ。そのセクションが重たくなっていたのは、専門外のことを扱っていて、書きながらそのつど足場を確かめるように書いていて、しかし読む側からすれば無駄にワーキングメモリを食うところもあり、要するに自分を守るための書き方になっていたのだ。書き換えるということはそういう自分の弱さに向き合うことでもあるし、それに時間がかかるということは、もったいなさや強情さが先に立ってそれができないというさらなる弱さに直面することでもあるし、幾重にも情けなかった。書き終わったあとは泣いたあとのような気分だった。あと3日で初稿の著者校正を返すことになる。

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3月18日

起きて、昨夜青椒肉絲を作って洗っていないままになっていたフライパンを洗う。鉄のフライパンで、焦げ付きがあったので、水を張って湧かして重曹の粉を入れる。たちどころにもうもうと泡が沸き立って、それが吹きこぼれないギリギリのところまで火を弱める。泡は内側に向かって細かくなり、中心に集まった焦げが底に吸い込まれていく。それをずっと見ていた。いつか炭酸が抜けきるのだろうか。抜けきるより前に目減りして茶色く濁った湯が底面で弾け始めたのでシンクに捨てた。

『存在論的、郵便的』講読は全15回の予定で、それで終われば前回が最後だったのだが、まだ最後の章の最後の節が半分以上残っていて、2回延長することになった。昼にはもう家を出て、とりあえず上野東京ライン——何も言っていないに等しい名前だ——で新橋まで出て、こないだのドトールにまた入って準備をした。それが終わってもまだ講読まで何時間もあって、あまりに一日が長すぎると思った。帰ったら12時で、歯を磨いて寝た。

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