4月14日

日曜だから、と言えばそれまでなのだが、何もしなかった。いや、「言葉と物」の熱心な感想メールをくれた見ず知らずの方への返答メールは書いた。でもそれだけだ。それにしてもこういう仕事のひとは、何もしなかった日の後ろめたさにどう対処しているのだろう。

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4月13日

ジム。ストレッチ、ランニング、デッドリフト、懸垂、ディップス、レッグレイズ、サウナ、シャワー。シェアバイクで帰る。セブンでアイスのカフェラテを買う。昼寝。妻と天ぷら(イカ、鱈、アスパラ、サツマイモ)を作って食べる。ツイッターのおすすめに、イームズのラウンジチェアの中国製の模造品を映画鑑賞用に使っていたら、あるとき不意に肘掛けが外れて立ち上がったらすべてがバラバラになったというエピソードが出てくる。妻の実家にも同じ椅子があった(模造品かどうかは知らない)。義父がオーディオマニアで、スタジオ用だったという単身用の冷蔵庫くらいの大きさの一対のスピーカーと壁いっぱいのレコードやCDのある部屋に連れられて、座らせてもらった。彼は脚を乗せてと言ってオットマンを引き寄せてからジョシュア・レッドマンか何かのCDをかけて、機材やコレクションについて、困ったことのように説明する。問題は、僕が半分横になっているのに対して、彼が立っているということだ。しかしとうぜん、彼がここに座っているとき、脇に立っている人間はいない。彼が実の父だったら、僕はむしろ彼が座っているのを見る側だったろう。

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4月12日

妻と桜木町に出かけて『オッペンハイマー』を見た。3時半から7時前まで。いろいろ進めておきたい仕事もあったが、まあいいことにする。とても長いのでトイレに行きやすいように列の端の席を取ったが、案外大丈夫だった。ジンジャーエールも飲んだのに。平日の昼だからかIMAXの席はまばらで、黄金町の高架がロケ地になっているSTOP映画泥棒の映像を、いつも通りショットを数えながら見る。映画を見るのは久しぶりだった。わかったようなわからないようなという感触だったが、ちょうど現代における「理論」の地位についての原稿を書いていたこともあり、「実験」が苦手な「理論家」としてのオッペンハイマーの側面が強調されるたびに、理論がそのまま爆弾だった時代もあったのだなと思った。大岡川沿い、黄金町の高架の対岸を歩いて桜を見ながら帰った。

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4月11日

コーヒーを入れていると、私もほしい、と妻が言った。僕は吸いたいときに煙草を吸ったり、その季節に着るものを限定したり、いつも通りにコーヒーを入れたり、そういうことがかなり自分の気持ちを安定させるのに大切で、一杯のスプーンで掬った粉で一杯のコーヒーを、いつもと同じ湯の量で作る数分間が乱れることに、すごく過敏になってしまう。ふたりぶん入れるとなると、お湯の注ぎ方も変わるし、いちどサーバーに2杯ぶん入れて分けるのも好きじゃない。朝起きると、彼女が家を出るまでのあいだ、髪留めはどこに行った、どっちのセーターがいいか、何時に配達がくると20個くらい質問があって、彼女の脳の延長として扱われているような気持ちになることがある。適当に返すのにもどれくらいの適当さなのかでいちいち考えてしまい、自分のことができなくなる。でもそれは、僕が自分でやることとふたりでやることのあいだにすごくはっきりとした境界線を引いているのに対して、彼女はそれがほとんどないというだけのことなのだ。もうひとつドリッパーがあればいいのだと気づいて、Amazonですぐ注文した。これでふたりのものを同時に、それぞれ別に入れられるし、カフェオレがいいということになってもすぐ対応できる。カフェになればよいのだ。

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4月10日

デザイナーと打ち合わせ。対面では最初に企画の概要の説明に上がったときから二度目。デザイン案を見せてもらうということで、こないだメルカリで買ったオーラリーのウールシャツを卸して着る。浅いブラウンとグレーの静かなチェック柄で、片袖を脱ぐとそのままぜんぶさらさらと落ちてしまいそうなくらい滑らかな生地。ユニクロで買ったレディースの淡いブルーのダウンベストと合わせる。服で気分にチューニングしていく。どういうデザインが出てくるのか、どういう自分で対峙するのか、ちょっと緊張していたのだと思う。東横線で早めに学芸大学駅に出て、駅前のドトールであんぱんを食べながら日記を書いて本を読んだ。駅で編集者と待ち合わせて、諸々の進行を確認しながらアトリエまで歩く。あとがきはこないだ送ったものでいいようだ。アトリエに着いてお茶を出してもらう。煎っていない、乾いた緑の葉っぱにそのままお湯を注ぐ烏龍茶。テーブルはダークグレーのざらっとしたメラミンの天板で、彼のデザインしたひっそりとした本に囲まれている。三つのパターンのうちひとつが束見本に巻かれて差し出され、それを見たときうなじがぞわっとした。帰り道、編集者といやー、びっくりしましたねと話しながら駅に戻った。

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4月9日

気づけばもうこの日記もあと2ヶ月足らずで終わる。冬のトークで布施くんに日記が終わるってどういうことなのかと聞かれたけど、たしかにそうだ。でもまあいつかは終わるわけで、決まった終わりがあるほうが、走らせているいくつかの線との関係性を扱いやすい。わかりやすいところで言えば、たまたまそうなったところも大きいが、日記が終わって本が立て続けに出てフィロショピーもやっていくわけで、まだこのサイトで何か始めるかもしれないし、それは終わりでもあり拡散でもある。そしてまだ何も決まっていないが、たとえば日記が本になる頃には「言葉と物」や共著も本になっておりという打算も同時に走っている。

ジムに行った。ストレッチをして、5分ごとに速度を上げながら25分走って、なるべく大きい筋肉と体幹への負荷の高いウェイトトレーニングを3種目やって、12分サウナに入って、3分間水のシャワーを浴びた。ナイロンでできたアシックスのシューズバッグに着替えを入れて紐をたすき掛けにして帰って、部活みたいだと思って嬉しくなった。

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4月8日

日記より連載を読んでくれ!

だけで済ませてしまいたい気持ちなのだが、フィロショピーもリリースしたのでそのことについて少し。結局最後まで迷ったのは決済と購入者情報の管理、講座運営への動線をどうするかということで、5つくらいのサービスに登録してテスト商品を作って自分で買ってみたりしたのだけど、結局講座の情報はすべて店のサイトに集めて、支払いだけSTORESの物販テンプレートを通し、メールで講座運営のDiscordサーバーに招待するというかたちになった。きれいではないが、まあひとりでやるにはこれくらいが限界かなとも思う。講義資料のアーカイブや感想フォームはせめて店のサイトに限定リンクで設置するといいかもしれない。

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4月7日

非常にのんびりした日だった。朝起きて、昼は簡単なパスタを作って食べて、妻と近所をぶらぶらしてお茶をした。帰り道、イセザキモールの真正面に太陽があって——4時頃はいつもそうなる——まぶしいので道を変えたいと妻が言って、家に近づく道はぜんぶ並行なのだから結局同じことではないかと言うと、道の広さと建物の高さが違うので影になるのだと言った。実際通りを1本変えると影になっていた。帰ってふたりで筑前煮を作った。

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4月6日

珈琲館が珈琲舎になって、炭火珈琲が炭焼珈琲になった。いくつか花が贈られていて、看板が取り替えられている。でも変わったのはそれくらいで、店長は常連に珈琲館は以前から基本禁煙だったのだと話していた。お互いはにかみながら炭焼珈琲と頼む。『非美学』のあとがきを書き終わった。この店で書いてきたんだと思った。家と駅のあいだにあって、全席喫煙可で、進んで4人テーブルに通してくれて、通りに面したガラスから公園の大きな常緑樹が見えて、2杯目のコーヒーが半額になる。そして僕も独立した。これからはこの味なんだと思いながら炭焼珈琲を飲む。会計のときに炭焼もおいしかったですと伝えると、そう言ってもらえてよかったですと言った。

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4月5日

また別のオンライン打ち合わせで、黒嵜さんと恵汰さんと話す。打ち合わせと言っても、何をするのかもまだ決まっておらず、ばらばらと組み立てては壊すように話が転がっていく。もうちょっと準備をしておくべきだったなと思う。いや、準備というより覚悟というか、ふたりが進めてくれるものに対してアイデアだけ投げればいいという、肚の据わっていない態度だったなと反省した。恵汰さんが別の打ち合わせで通話を抜けて、黒嵜さんとふたりでしばらく喋った。日記の本をどうするべきかぜんぜん決められないと相談して、彼が手元にあった私家版をぱらぱらめくっているのを見て、ランダムに日記を表示してそれについて話すイベントとかができればいいですねと言った。それは絶対楽しそうだ。遊びや実験は本のあとに取っておいて、本はなるべく素直なかたちで出してしまうのがいいかもしれない。でもどこから?

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