日記の続き#215

部屋で裏地がナイロンのボアベストを羽織っているからか、煙草を吸いに台所に行ったりするたびに、どこかに触ると指先にパチっと静電気が走る。夜になるとその頻度が上がるような気がする。最初のうちは煩わしかったが慣れてしまってからはクリックみたいなものだと思うようになってきた。タップ&スワイプという擬似的な点への接触が静電気を気取られることなく用いているのに対して、実際の接触にともなうパチっと鳴る静電気はある種のキアスムの関係にある。タッチスクリーンが「タッチ」を偽装するためにピクセルというリアルを隠蔽するのに対して、痛みをともなう静電気は実際のタッチを点的なクリックに翻訳するのだ。とか考えながら煙草を吸っていた。(2021年11月17日

日記の続き#214

ダーウィンのミミズ研究の本が届いた日に「クレイジージャーニー」で土壌学者の藤井一至が出演していたり、ベイズ推定の歴史の本を読んでいると博論本の原稿でちょうど出くわしたマルコフ連鎖の話が出てきたり、こないだのレクチャーで表現と作品の関係の話をしたら今度書評パネルに登壇するレヴィナス本にその話——レヴィナスはふたつを対立概念として扱うのだが——が出てきたり、日々そういう静電気みたいなものがパチパチと、頭のなかで起こっている。これは一方でそこから何かが広がっていくアイデアの可能性であり、いろんな本を読む楽しさのひとつはそこにあるのだが、他方でそれはまたパラノイアックというか、数字がゾロ目の時計をよく見るというような偶然とバイアスの取り違えでもある。偶然とバイアスを取り違える幸福な愚かさがなければアイデアはないのだが、それがあくまで幸福なものであるためには、妄想的な楽しみと静電気的な行き場のない楽しみを併走させることが必要だ。それがテクニックなのか、人間とはそもそもそのようなものだという達観なのかはわからないけど。

日記の続き#213

コメダ珈琲で作業。隣の席に注文を聞きに来た店員が「カツパン」にはからしマヨネーズが入っておりまして、こちらを普通のマヨネーズにすることもできますがいかがいたしましょうかと言うと客がからしマヨで大丈夫ですと答えたのだが、僕はからしマヨネーズと言われてからしマヨと返すことなんてできないなと思った。なんというか、からしマヨという言葉なんて知らないふうに振る舞うべきだし、さらに言えばからしマヨネーズという言葉を初めて聞いたふうに、あるいは「カツパン」にからしマヨネーズを入れるのはちょっと思いつかなかったというふうに振る舞うべきだ。店員は少なくとも非からしマヨ的世界を生きているわけで、こちらが勝手にそれを台無しにするべきではないし、言葉を大事にするとはそういうことなのだ。しかしこの場合、「カツパン」とは何なのか。

日記の続き#212

酉の市の一の酉。家の前の通りが歩行者天国になって、韓国料理の屋台と焼きそばの屋台のあいだを抜けてアパートを出る。屋台よりもとからあるお店で買って何か食べようと言って、タイ料理屋のソーセージを買って食べる。レモングラスのような風味が付いていて、春雨のようなものが混ぜ込んである。熊手が三本締めとともに送り出されているのを眺める。商店街の韓国惣菜屋でキンパを、果物屋で串に刺さったパイナップルを買って家に帰った。窓を開けていると部屋が喧噪で満たされて祭りのなかにあるみたいだ。静かになったと思ったら鉄パイプの屋台群がいつのまにかなくなっている。もうこの街に住み始めて6年になる。特別横浜にいる理由もないのだがどうしてか動く気がしない。近所——それはおおよそ大通公園と伊勢佐木モールを長辺とする長方形と重なる——がほとんど庭か盆栽のように何か多元的な指標として僕の生活に張り付いている。

日記の続き#211

横浜市営地下鉄が見たことないくらい混んでいた。祝日だからだろうか。だとしてもこんなに混んでいるのは見たことがない。京浜東北線は踏切の非常ボタンが押されて10分ほど停止して、前に立ってつり革を持っている中年の男のTシャツがズレ上がってボクサーパンツが丸見えになっていた。パンツもズボンも迷彩柄で、隣に立っている男はスニーカーとリュックが迷彩柄だった。すり切れて白い生地が露出した合皮のスリングバッグ、ボタンを開けたチェックのコットンシャツ、「これは何色だ」と思われるのを避けるために選ばれたような濁った色のインナー。

ニコチンのガムを禁煙のためではなく煙草が吸えない場面をやり過ごすために噛むことを “unsmoking” と呼ぶことにした。

日記の続き#210

日記についての理論的考察§18
しばらく前から「他人の日記」という企画を考えていた。誰かに話を聞いてその人の日記を僕がここで書くという企画。きっかけはたんにもはや他人の日記を書いたほうが楽なのではないかと思ったということだ。裏を返せばどうして1年半ものあいだ自分のこと——それはいわゆる「自分語り」に収まるものでないにしても——ばかり書いているのかわからなくなったということでもあり、「出来事」として見れば僕のものも他人のものもないだろうということでもある。日記にとって「他人」とは何なのかということについては、僕が日記に書く他人や、あるいは日記掲示板に書いてくれる誰とも知らない他人との付き合い(?)のなかで折に触れて不思議に思ってきた。何か別の関わり方の回路がありそうだと。

やるならツイッターのスペース機能で、来てくれた人にその日のことについてインタビューして、それをもとに書くというやりかたがいいかなと思っていた。密室で秘密を託されても困るので——日記と秘密の関係については別の機会に考えよう——第三者が聞いている場所でやるほうがいいだろう。しかし昨夜、何時からスペースを開きますと言った直後にやっぱり他人の日記は書けないなと思ってスペースではどうして他人の日記が書けないのかということについて結局ひとりで1時間も喋った。これはなんだろう。どうしていつも自分の側に舞い戻ってくるのか。どうして出来事は私のものではないのに、それを書くとき私はひとりになるのか。

日記の続き#209

最近筋トレの情報をYouTubeで見ていて、ステロイド使用歴のあるひとの話は話半分に聞くようにしている——それにしても彼らには独特の哀愁がある——のだが、山本義徳は品があって見やすいのでよく見ている。痩せ気味でなかなか筋肉が付かないという質問に対して彼がそういう「外胚葉型」の人は日常の動作でカロリーをあまり消費しないほうがいいので、普段からちゃきちゃき動かずになるべくゆっくり動くようにするといいと言っていてそんな馬鹿なと思った。

1年くらい前に、日本の大学で博士を取った中国の映画研究者から『眼がスクリーンになるとき』を翻訳したいというメールが来て、僕はなんとも言えないからフィルムアート社に問い合わせてくれと言って、中国側の版元すら見つけていない状態だったので流れるのだろうなと思っていたら、フィルムアートから連絡があってこれこれの条件でよければ書類にサインして送ってほしいということだった。版元の出版ラインナップや中国の現代思想事情を調べたいのだが中国のインターネットがぜんぜんわからない。翻訳・版元の質が気になるような気もするし、どうでもいいような気もする。まあこれだけいろいろ頑張ってくれたのだから任せようと思う。

日記の続き#208

寒くなってきて食事による代謝の振れ幅が大きくなってきたのか、晩ご飯を食べたあとものすごく眠たくなって、寝て起きたら夜中の1時だった。夢を書き留めておきたいという気持ちと、もうちょっと寝ていたいという気持ちのあいだでうつらうつらしているうちに夢を忘れたが結局起きて煙草を吸った。誰かのためにその人の部屋を片付けるか何かしていて、曲線と穴を作ったらダメだと言われる夢だったと思う。その人は脳梗塞を患っていて、曲線を見るとそれがこちらにぶつかってくるように感じ、穴は黒い平面に見えるのだ。僕がそう言って誰かに片付けてもらっていたのかもしれない。湿気を含んだ空気が滑らかに感じられる秋らしい夜で、日記を書きたいような気がしたのだけど、どうもきっかけを掴めずにだらだらしてまた寝た。(2021年10月26日

日記の続き#207

岡山で観光。丸一日かけて岡山芸術交流の主要会場三つの展示と後楽園を見た。後楽園を囲む高梁川で妻と桃の形の足漕ぎボートにも乗った。岡山出身なのに岡山の街についてぜんぜん知らない。久しぶりに街で話される若者の岡山弁を聞くと、彼らはなかば関西弁っぽいイントネーションで話していて、これは千鳥のふたりの影響だろうと思った。つまり、千鳥が岡山弁のキツい部分をそぎ落として作ったミクスチャー的な言葉が「岡山弁」になってきている。みんな地方から出てきた大学生みたいな話し方だ。ここも地方なのに。僕はどうだったか? 僕は大阪に出てから、書き言葉で喋れるようになるまで4年間くらい黙っていた。

日記の続き#206

兄の結婚式で妻と岡山に行く。10年ぶりくらいにスーツを引っ張り出して着て、サイズがそのままでよかったのだが、革靴を履いて歩くと爪先がぴょこぴょこ動くのが奇妙に誇張されて気になった。結婚式はすぐ終わった。祭壇の脇で神主がずっと笙を吹いていて、笙が欲しくなった。呼気でも吸気でも鳴る笛は呪術的で怖い。

最近日記に書こうと思っていたことを書いているうちに忘れてそのまま投稿してしまい、あとから気づくということが多い。せっかく買ったニンジンを入れ忘れて豚汁を作るみたいに。この機にふたつほど卸しておく。一昨夜、カタルシスの岸辺が開催している「死蔵データGP」の採点が締め切りだったのをすっかり忘れていて、10個ほどの応募作の採点とコメントを書いた。行き場のないデータを見て書いているうちに不思議と自分なりの評価基準が明確になってきて、久しぶりに批評家らしいことをしたなと思った。とくに気に入っているのは「死蔵」と「思い出」は違う、思い出は大切にしてほしいので低い点数にする、という評価。

先日梅ヶ丘に行ったとき曽根さんと大和田さんを待つあいだ駅の周りを歩いていて、「武蔵野レジデンス」というアパートの隣に「ふじみ野シャーメゾン」というアパートがあって、ここは「どっち野」なのかと思った。