日記の続き#155

なんとなく広告で出てきたZARA Homeのサイトで家具を眺めていて、アロマオイルの瓶に細い木の棒が刺さっている写真があって、昔それが何だかわからず、ビジネスホテルかどこかにあって液状のロウソクみたいなことなのかと思って持っているライターで火をつけようとしたことがある。先っぽが黒く煤けるだけだったのでゴミ箱に捨てた。謎の棒といえば、これも昔、梅田の喫茶店でカフェラテを注文するとカップに何か茶色い棒が刺さっていて、クッキーみたいなものかと思って齧ってみたら木みたいに硬くてびっくりしたことがある。シナモンスティックだったらしい。アロマの棒と、シナモンスティック。これが僕の2大謎の棒なのだが、あなたの謎の棒エピソードもあったら聞かせてほしい。(2021年9月18日

日記の続き#154

日記についての理論的考察§15各回一覧

このシリーズの更新はいつぶりだろう。どういうことを書いてきたのかぜんぜん覚えていない。ここのところ寝て起きてから書くのが続いていて、後回しにするのに慣れてしまうと書きながら考えるのではなく書き終わりかたを頭のなかで再現できるまで書き始めないという感じになってしまうので、ここらで締めなおそうと思ってこの文章を書いている。

今日は起きてから溜まっていた段ボールを括って掃除機をかけて床を拭いて洗濯を回して干して、茄子とウィンナーでパスタを作って食べた。長い昼寝をして彼女がパッタイを作ってくれて、TVerでテレビ千鳥を見ながら食べた。もう夜中の2時過ぎだったがジムに行って帰ってきて、煙草を1本吸ってこの文章を書いている。

毎日機械的に書けば日々で自分を削り取っていくことができるのではないかと思っていた。書きたいときに書くのではなく、日々飛び込んでくるものに圧倒されることを前提にして、その否応のなさにおいて書くことが、自分を癒やすことにもなるだろうと。半分はそうなっていると思う。でももう半分で僕は日記で日々をコントロールする術を身につけてきてしまっている。それは書く内容の選別から、長さの波の管理や、無機質かつ僕っぽい文体への引きこもりまで、いろんなレベルで。そうしてなんというか、自分の内的生活と日々の出来事からだんだん剥離していって——ひとはそういうものを「仕事」と呼ぶのかもしれないが——「1日30分から1時間ほどかければできる何か」に日記がなっていく。それはそれでいいのかもしれないと書いてみて思った。もう5時だ。

日記の続き#153

また珈琲館。妻と一緒に作業をして、外に出るともう夜で、近所の猫がたくさんいる道に行こうと言うので付いていった。暗い路地のところどころに猫が座っている。たまに人懐っこいのがいるが今日はいなかったので、彼らが逃げずに済むような距離から眺める。最近はもう「野良猫」という言葉はあまり使わないようになっていて、「地域猫」と言うのが一般的らしい。不妊手術済みの印だったか、片耳の先端が昔の切符のようにV字に切り取られている。昔に十三の七藝で見た若松孝二の『水のないプール』は駅員の内田裕也が退屈そうに切符切りのハサミをカチャカチャと単調なリズムでもてあそぶ場面から始まった。坊主頭の内田裕也はクロロホルムを窓の鍵穴から注入して眠っている一人暮らしの女性を襲う犯行を繰り返す。そういえばアニメ版の『映像研には手を出すな!』では水を抜いた室内プールが職員室に転用されていた。床にレーンの線があって、壁一面の窓から採光している。

日記の続き#152

ベランダに置いてある硬いゴムみたいな素材のサンダルが縮んで履けなくなってしまっているのに気がついたのが3日くらい前で、その日に近所の商店街のハマモードという服やブランケットやスリッパなど、とにかくいろんなものが恐ろしく安く買えるお店に行ったのだけどサンダルはなかった。その足で縮んだサンダルを買ったドラッグストアに他の種類のものがあるだろうと思って行くともうそういう雑貨のコーナーは冬物の毛布とかになっていた。翌日の深夜に伊勢崎町のドンキホーテに行って、たしかにいろいろあるのだけど、どれもふざけたデザインかおじいちゃんみたいなやつか、あとは2500円くらい出してクロックスを買うかという感じでなんだか暗い気持ちになってきて買わなかった。彼女がドンキはぶらぶら歩くぶんには楽しいけど何か探しに行くとつまらないと言った。帰ってスマホからアマゾンでベランダ サンダルと検索すると1000円くらいでちょうどいいデザインの、「縮まない!」と書いてあるやつが見つかったので買った。それが今日届いて履いて煙草を吸った。(2021年9月27日

日記の続き#151

夕方、珈琲館で作業をしていると、声の大きいおばちゃん3人組が入ってきた。終始ジャニーズの話をしていて、店主から注意されるくらい大声で喋っていた。もともとカメ(亀梨のことだ)が好きだったのだが、上田の「担当」に変えるとライブ中にマイク越しに舌打ちをしてきたという話をしていて、ツイッターとかでそういう妄想を見かけるのとは違って、この3人のあいだでそうしたフィクションが共有されているということがとても不思議だった。たぶんジャニーズにひとがたくさんいるということと、一定の数のファンの親密な集まりとが対応していて、あちらの世間とこちらの世間とのトーテミズム的な照応関係がその集まりの数だけあるのだろう。帰って少し昼寝をして、せっかく昨日入会したのでジムに行った。10分走って10分自転車を漕いで、プルダウンとローイングと、ベンチプレスとデッドリフトとスクワットを無理のない重さでやった。とくにバイクとスクワットが面白かった。骨盤や背骨の角度を工夫すると肚から力が伝わる感覚があって、それはそこにある筋肉の発見であると同時に、内側に向けて何か未知の有機体が絞り出されるような感覚だった。あんまり慣れないでいたい。

日記の続き#150

博論本第3章を書き終えた。1、2ヶ月前にもひととおり終わったと書いたような気がするのだが——具体的な日数を知るのが怖いので確認はしない——そこからの仕上げでいちから書くとき以上に苦労してやっと本当に終わった。いままででいちばんキツかったかもしれない。レクチャー原稿をもとにした博論版からの書きなおしの仕上げということで、それぞれの段階で幾重にもすでに書いたものや参照するテクストに寄りかかっていて、どんな問題に取り組んでいるのかということがぼやけているところがあり、それを引き剥がすのが作業としてというより気持ちのうえで大変だった。できていると言えばすでにできているものを解体して作りなおすのは——できてるでしょという言い訳は何通りも思い浮かぶ——最初に書くときのような高揚もないし、本当にしんどい作業だ。ともかく終わって安心した。なんだか嬉しくなってしまい珈琲館を出て昼ご飯を食べに行く道すがらにあったエニタイムのジムにふらっと入って入会手続きをした。

日記の続き#149

書かずに寝てしまって起きてダラダラしてもう昼だ。煙草が切れたので買いに行くついでに荷物を持って部屋を出てセブンイレブンに行くと店員がすでにハイライトメンソールを用意していて、珈琲館に着くと炭火珈琲ですかと聞かれた。季節だけが変わっていく。昨日の朝、寝ているとき歯ぎしりしていたよと妻に言われ、僕は昔から起きているときも奥歯を噛みしめる癖があって寝るときは歯を浮かせておくように気をつけているのだが、たしかに昨日は顎が疲れているような感覚があった。雨が降っていて湿度が高く気圧が低く、寝苦しかったのだと思う。不眠症になったことはないが、思いなしを鎮めて快適に寝るためにある程度の準備が必要なほうなのだと思う。だいたい入眠まで数十分から1時間かかるし、時期によってそのあいだにいろんなことを試す。耳を揉んだり、体に力を入れてから抜いたり、マントラのように俺はもう寝ているんだと頭のなかで繰り返したりする。最近ハマっているのは、胸郭を内側からまさぐるように——息が上から下に体の内壁を螺旋状に下っていくようにして——大きくゆっくり息を吸うことだ。腹式呼吸が落ち着くとよく言われるが、これをやってみてわかるのは胸郭のこわばりが無意識的な呼吸の深さに関わっていて、そこをある程度押し広げないと意識的に腹式呼吸をしてもあんまり意味がないということだ。凝りがひどいときは息だけで背伸びをしたときみたいに胸骨がポキポキということもある。

日記の続き#148

ひと月ぶりの普通の日記。昨夜書かずに寝てしまったので朝書いている。「八月の30年」は思ったよりずっとキツかった。日記とは別のことがしたくて始めたことだったけど、途中から普通の日記が恋しくなっていた。共訳書の打ち合わせがあって、妻が親知らずを抜いて歯医者から帰ってきて、茄子とキャベツで味噌野菜炒めを作って食べて、選書フェアのコメントを公開して寝て、起きたら雨だった。

日記の続き#147

八月の30年——30歳

今日で終わり。ひと月かけてこれまでの30年間を振り返ってみて、というか、ひと月ぶんの日々で30年を切り刻んでみて思うのは、自分の来し方の線形性を支えている記憶はとてもみすぼらしいものだということだ。それは本来の記憶の豊かさを示しているというより、どこで生まれてどの学校に通ってどれくらい勉強ができてどういう恋愛をして、という言葉で今の自分を持ちこたえさせるこができるということのほうがマジカルに思えてくる。これも考えてみれば当たり前の話なのだが、「出身」やら「受験勉強」やら、同じカテゴリーのもとで多くの人にそれぞれ特有の記憶があるものは、自分を語るということにまつわる厄介さをいくつもスキップさせてくれる。僕は今回そういうものになるべく寄りかからないようにしたが、そんな心許ないものに寄りかかっていても普段の生活にはまったく支障がないということのほうが驚きだ。こないだ東村山市にある国立ハンセン病資料館に「生活のデザイン」という企画展を見に行った。麻痺した、あるいは断端した手足に取り付ける義足や手全体で握り込めるように柄を太くしたフォーク、電話機の奇数のボタンにだけサイコロ大の木片を貼り付け、棒で押しやすくしたものといったブリコラージュ的に編み出された個人的な道具と、専門家と対話を重ねるなかで洗練されていった道具とが「歴史」、「デザイン」という言葉のもとにリニアに並んでいる。このときも歴史と言えば、デザインと言えばこれらを並べてしまえるのだということに強い戸惑いを感じた。学芸員によるギャラリートークでも「両義性」という言葉がたくさん出てきた。困っていると言ったうえでできればよいのだろうけど、なかなかそうもいかない。

日記の続き#146

八月の30年——29歳

雨だった。しっとりした空気のなかにときおり、棚の上に置いていた台湾パイナップルの甘い香りが漂ってくる。こないだのバーベキューに百頭さんが買って来てくれたのが美味しかったという話をして、彼女が買って来ていたものだ。包丁で皮を削って身を切り分け冷やして風呂上がりに食べた。風も強くなっていて、前の家だったら揺れてただろうねと言った。確かにやたら揺れるアパートだった。

親密さについて考えている。たとえば恋愛が厄介だなと思うのは、同じ思い出の共有に力点が置かれがちなことで、それは記念日やらクリスマスやらが象徴的な価値をもつことに表れている。それはそれで結構なことだと思うのだけど、そうしたステップの延長で結婚やら出産やらに幸せの形を代表させている何かがあることも確かだと思う。親密であるということを同じ思い出の共有だとしてしまうと、その親密さはいつの間にか第三者的な社会のなかでしか位置をもたなくなってしまう。かといって駆け落ちして誰も知らないところへ、みたいなのも違うし。結局親密さというのは、自分が忘れている自分のことを相手が覚えていて、相手が忘れている相手のことを自分が覚えていて、その思い出のすれ違いの積み重ねなんじゃないかと思う。すっかり忘れていたことを言われると、何か自分の存在が分け持たれているような奇妙な感覚がある。とはいえそんなことあったっけとは、やっぱりなかなか言えないんだけど。(2021年4月29日