日記の続き#345

秋学期の非常勤のシラバスを書いていて、あらためて研究者というのは専門や固有名にこうも寄りかかっているものなのかと思った。というのも、「日記の哲学」というテーマで講義をすることにしたのだが、結局ドゥルーズの文学機械論やデリダの自伝論、フーコーの自己の書法といったトピックで各回の内容を埋めるしかないからだ。固有名の外で自分のやっていることの価値づけをする、それも「教育的な」価値づけをするというのは、難しいというより、研究者にとっては恐ろしいことだ。まあシラバスはシラバスなので、やり方については秋までに考えればいい。

夕方、昼寝をしようと思って布団に横になっていると電話がかかってきた。携帯の番号で、とりあえず切れるまで待って、仕事の知り合いかもしれないと思ってGmailの履歴をその番号で検索する。2年ほど前に仕事をした人らしく、起き上がってかけなおすと、僕より一世代上の、哲学者や美学者や映画監督や精神科医が集まるパーティのようなものへの誘いの電話で、ありがたいがその日はすでに予定があるので出席できないと言って反射的に断った。

日記の続き#344

博論本の執筆は客観的に見れば大詰めの時期で、まだ5章と6章の改稿がまるまる残っているのだが、なぜだかここ1週間ほどのあいだ、まともに作業に取りかかるつもりになれない。ほっといてもどうせ書き上がるという奇妙な楽観があって、それは逃避の裏返しなのだと言ってみることはできるのだが「本人」には響かない。

太くて粘度の高い油性ボールペンが欲しくて有隣堂でパワータンクといういかにもな名前の1.0mmのペンを買った。本を読んだり作業をしたりするときにただ机にノートを広げておくだけで、認知が跳ね返る面がひとつ増えて、SNSやブラウザに目が横滑りしていくことが妨げられる気がする。

本を読んでいてふと、ウォークマンを買ったらそれでオーディブルも聴けるのだろうかと思う。『門』を聴きながらジムでマシンを漕ぐ自分が思い浮かぶ。スマホを手に取りそうになってこんな時間にして1秒ほどの思いなしのためにわれわれは読んでいる本から目を離しているのだと思う。そうして無事にサファリの検索窓にたどり着ければいいものの、顔を向ければメールやSNSの通知バナーが降りてきて、そちらに気をとられればもう最初の目的を忘れてしまっている。忘れることが問題なのではない。忘れていいものの忘却が別の忘れていいものへの回付とセットになっていることが問題なのだ、と、本を読みながら机に開いたノートに、さっき買ったボールペンで書いた。

夜、帰るとアパートの階段に若い男が座っていてぎょっとした。

翌朝がゴミの日で、妻と一緒に冷蔵庫を整理した。ダメになったものがたくさんある。彼女が今度から気を付けなきゃと言う。

読み始めたドン・デリーロの『ホワイトノイズ』にちょうどこんな台詞があった。

「ママは買わないと自分を責め、買って食べないと自分を責め、冷蔵庫のなかで見て自分を責め、捨てながら自分を責める」

気持ちはよくわかる。

日記の続き#343

ところで、コンピュータの話に戻りますが、コンピュータのおかげで、テクストの〈準・直接性〉が回復されました。テクストは物質性をなくした物質であり、手書きの頃よりも流動的で、軽くなっています。言わば言葉(パロール)に、いわゆる内なる言葉に近いものとなったのです。速さとリズムにも大きな違いが生まれました。速く、わたしたちを追い抜くほどに速くなっているのです。しかし同時にこのマシンのボックスの〈闇〉の中で何が起きているのかわからないために、わたしたちの知性まで追い抜いてしまうのです。コンピューターには魂がある、意志と欲望と意図があると思い込んでしまいます。〈他なるデミウルゴス〉が、善きまたは悪しき霊が、不可視の名宛人が、偏在する目撃者がひそんでいて、わたしたちが読み上げることをあらかじめ聞きとり、把握し、一瞬も待つことなくわたしたちの面前に送り返してくるのです。わたしたちの言葉の客観化されたイメージが、他者の言葉として翻訳され、固定され、他者がすでに語った言葉として、他者からきた言葉として、同時にわたしたちの無意識の言葉として伝えられるのです。いわば真理そのものとして。

〈他なる無意識〉がわたしたちにごく近いところに位置を占めた瞬間から、わたしたちの言葉を自由勝手に扱うことができるかのようです。

————ジャック・デリダ「ワードプロセッサー」中山元訳(『パピエ・マシン』上巻、ちくま学芸文庫所収。初出は1996年のインタビュー)

日記の続き#342

機械翻訳について、哲学研究者(それもデリダ研究者)が「サーベイ」には使えるが「一次文献」の翻訳では「関わるべきではない」とツイートしているのを見て、なぜだか深く落ち込んでしまった。文学部的なものはこうした文学部的な良心によって生きながらえるしかないのだろう。「一次文献」の翻訳は機械には任せられない。それはそうだ。文学部的にはそう言うしかない(しかし何が「一次文献」か誰が決めるのか)。しかし他方で、そう言う側も、それがかなりの程度まで進むことによって開ける場であらためてそう言うことに宿る価値を当て込み、先取りしている。どこまでも良心的に。機械、投機、良心あるいは意図、猜疑あるいは偽誓。しかしその循環を丸ごとエコノミーと名指したのがデリダではなかったか。いや、たぶん件の研究者も、それくらいは当然わかっているが、とりあえずそういう良心的なことを言っておくべきだと思ったのかもしれない。しかしこの「べき」、良心的に振る舞っておくべきという、デカルトの「暫定的道徳」のような二重化された良心は何を意味するのか。文学部的な良識とそこに加えられるデリダ的な捻りは、教育的な観点から初級/上級としてとりあえず切り離しておくべきだということだろうか。これならよくわかる。でもぜんぜん面白くない。

日記の続き#341

やる気はなくても本は読める。『ゆるく考える』を読んだ流れで初めて東の『クォンタム・ファミリーズ』を読んで、デリダの『絵葉書』に入った「思弁する:「フロイト」について」を読んだ流れで『パピエ・マシン』の「タイプライターのリボン」を読んだ。こんど始まる『存在論的、郵便的』を1年かけて読む講読、連載で取り組もうと思っている言語論、そして来年あたりから書こうと思っている日記論、だいたいこの3つくらいの仕事が念頭にあって読んでいる。線を引きページを折るどの本のどこがどういうアウトプットに繋がるかはわからない。たぶん僕はいま初めて、いずれも息の長い複数の仕事を同時に進めるということをやっている。いや、まだ具体的にはなんにも進んでいないので「予期している」というほうが正確だろう。ともかく頭の使い方が変わってきたような感じがする。あみだくじのようにインプットのスロットとアウトプットのスロットがそれぞれ複数あって、そのあいだのブラックボックスを育てているのかもしれない。他方に、博論本のことだが、急務は急務としてある。急務と予期の両立についてはやる気の波にまかせるより他にまだなんの手立てもない。

日記の続き#340

日記ワークショップの3回目。今回も冒頭に30分ほどのミニレクチャーをする。下北沢に向かう前に3時間ほどでスライドを作る。専門ではない歴史の話でちゃんと作れるか心配だったが、いままでいろいろ読んできたものをまとめたらかたちになったので、勉強はしておくものだなと思った。ドナルド・キーンの『百代の過客:日記にみる日本人』を話の起点にする。彼は一方で日記を近代的な私小説に繋がるものとして日本文学の伝統の連続性(「月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり……」)を主張し、他方で文学的な日記と非文学的な日記を分割することを作業の土台にしている。これを循環的だと批判するのはたやすいが、面白いのは彼自身、太平洋戦争の戦場で遺棄された日本兵の日記を翻訳する軍務を通して日記に出会ったことだ。つまり彼はおよそ文学的ではない軍事的情報を目当てに読んだ日記から、日本人はなぜこうまでして——敵に情報が渡ることを省みず——日記を書くのかと日記研究に向かっており、文学的/非文学的の分割は彼の動機においてすでに失効させられている。彼は「文学的才能」が感じられない兵士の日記も、ひとたび出撃の命令が出たりマラリアに罹ったりすると「痛い!」という単純な言葉が「ほとんど耐えがたいほど感動的」になると言っている。収集された大量の日記について、キーンは「理由はともかく」日本人は日記がよほど好きなようだと言って序文を閉じ、『土佐日記』や『蜻蛉日記』に始まる日記文学の歴史に分け入っていく。レクチャーの本論では近代日本人が日記を書く「理由」を、戦争と教育の観点から整理して、最後に文学における写実主義的なイデオロギーと当時(明治30年前後)の言語政策の交差点に日記があることを確認した。がんばった。しかしレクチャー後のワークショップも含め、僕はストイックにやりすぎなのかもしれないと思った。

日記の続き#339

喋りがちな日。目黒の出版社まで打ち合わせに来て、編集者相手にブレスト的に書こうと思っていること、原稿には書けないけど話すと通りのいい前提にしている事情とかを話した。聞きながらそのつど自分の言葉で言い換えて確認してくれるのでとても話しやすかった。原稿の打ち合わせとしては正しいあり方なのかもしれないけど、なんだか喋りっぱなしで申し訳なかったなと思いながら勝手が分からず入るのに苦労したオフィスビルを出た。目黒。お腹が減ってはいるが街の感じが気に入らず何も食べたくないのでそのまま神楽坂に向かった。迫鉄平さん(以前書いた個展レビューグループ展レビュー)の個展をやっているスプラウト・キュレーションに入ると、いちど原稿を頼まれたことのあるギャラリストさんに噂をすればだと言われた。そこにいた若い人が向き直って名刺をくれて、誰々さんからよく話を聞いていますと言われたが、その誰々さんには会ったことがないと思うと言って変な感じになった。博論出されたんですねとか、日記読んでますとか言われたのでお礼をして、その人は帰っていった。展示はDMがとてもカッコよくてもともと期待していたのだけど、やはり素晴らしかった。彼がここ1年ほどTumblrに毎日10枚ずつ投稿している散歩中のスナップをもとにした作品が中心となっている。この日記を始めたときから勝手に彼のTumblrを意識していて、毎日感心していたのだけど、そういう広い意味で日記的な実践の展開のしかたとしてとても刺激を受けた。ギャラリストさんにとても面白かったですと言って、もうちょっと何か言った方がいいのかなと思ってひとしきり批評っぽいことを言った。駅に戻る長い坂で少し荒れた鼻息をマスク越しに聞きながら、今日は喋りすぎたなと思った。酸欠で少し頭痛がする。駅の自販機でポカリを買って飲みながら帰った。(2021年5月14日

日記の続き#338

連載の書き方の参考に柄谷の『探求』に続いて東浩紀の「なんとなく、考える」(『ゆるく考える』所収)を読み返した。これは東浩紀のすごさがいちばんストレートに出ている文章かもしれない。文章のゆるさと考察の構築性がほとんどウソみたいに両立している。

内容とは別に、これは性格的なところもあるのかもしれないが、東がつねに読者に向かって語りかける構えで書いていることが気になった。サブカル批評好きは読まなくていいとか、半分は不信感による言及なのだが、そうは言っても連載をフォローする読者の存在を想定できていたわけで、それが「勘のいい読者はそろそろわかってきたと思うが」と言ってまったく別の話からもとの文脈に重ね合わせていく東的な話芸のドライブにもなっている。

連載は2008−2010年で、このときから年金とベーシックインカムとか、言論のパフォーマンス化とか、そういう話はあったのだなと思う(付け加わったのは大きいところで言えばリベラルと保守の対立の先鋭化くらいではないか)。ともあれ、批評が島宇宙化して、それでも「あえて」全体性を狙う身振りにもすでに飽き飽きしているなかにあってさえ、少なくとも紙の月刊誌の連載を毎回読む読者を想定することはできたのだ。これはたぶん性格的な問題を越えていて、仮に東がいま文芸誌で連載をしても同じようには書けないだろう。

もはや不信感を抱きようがないくらい「批評の読者」というものがどこにいてどういう人たちなのかわからなくなっている。ジャンルに紐付いた映画批評や美術批評が「島」たりえているのかということすら怪しい。

と、つらつら考えながら読んでいて、しかしこれは批評がその言及対象の価値や社会的位置づけによってゲタを履けなくなったということを意味しているにすぎず、これほどそれぞれの批評(家)単体の価値が試される時代はなかったのではないかとも思う。そういう意味で言えばたんにズルができなくなっただけだ。

しかし、批評が単体で機能するなんて語義矛盾ではないか。

気が向いたら後日続きを書きます。

日記の続き#337

玄関のチャイムで目が覚める。寝ていたいので居留守をしているとぜんぜん鳴り止まず、やっと鳴り止んだと思ったら今度は電話が鳴り始めて、それも無視すると今度はショートメッセージが来た。AmazonのAmazonによる宅配だ。郵便やヤマトがこんなにしつこいことはない。日時指定をしているわけでもない荷物を持ってきて、不在だからといって電話までかけてくるなんておかしい。

日記の続き#336

こないだ日記にも書いたが、夜におそらく前立腺が痛むことがあり、昨夜も少し引き攣るような痛みがあるので嫌な病気だったら嫌だなと思ってその場で病院のサイトから診療の予約をした。昼に起きて近所の焙煎機がある喫茶店でコーヒーを飲んで予約までの時間を潰す。煙草が吸える外の席に座って、イセザキモールを行き交う人や犬を見る。隣の人の煙草の匂いが自分の吸う煙草とリズムを作った。黄金町駅のそばにある泌尿器科まで歩いて行って保険証を出す。問診票に「夜中、前立腺が痛むことがある」と書いて受付に返すと尿検査のカップを渡された。トイレの中の小さな扉にカップを置いて出るとすぐにスピーカーから名前が呼ばれて1番の診察室に呼ばれた。医者は40代の真面目そうな男で、最初に名札を見せながら名前を名乗った。症状を説明するとベッドに仰向けになるように言われる。看護師が出てきて服を上げて腹を出す拍子に上着のポケットからライターが転がり出て、こちらに置いておきますねと言ってカバンを置いたカゴに入れる。なんだか恥ずべき人間になったような気持ちになる。医者がジェルを塗った機械で下腹と脇腹をまさぐりながらこちらからは見えないモニターを見ている。服を直しているとお仕事は何ですかと聞かれて、ちょっと迷って研究者だと答える。尿検査も問題ないし、超音波にも何も映らないので、膀胱炎や尿管結石の類いではないということだった。おそらく前立腺炎で、座り仕事とストレスが原因だろう、悪い病気ではないということだった。礼を言って薬屋で薬をもらって、やよい軒で昼食を食べて珈琲館に行くと妻が合流するということで、病院に行く話をしていなかったので飲んだ薬の外装をテーブルに置いたままにして話のきっかけを作っておく。会うなりそれを指さしてどうしたのと聞くので、病院に行ったんよと答える。