日記の続き#2

あの知らんおっさんは今何をしているのだろう。彼のほうが肩身の狭い思いをしていたのかもしれないと思うと申し訳なくなってきた。真っ暗なのでスマホを開くのも気が引けるし、イヤホンのノイズキャンセルだけ付けて、正面のカーテンから透ける電灯の光が飛び去っていくのを眺めていた。浜松のサービスエリアで休憩。午前3時半。煙草を吸って戻る。YouTubeで「sleep classical music」と検索して最初に出てきたプレイリストを開く。最初は「ジムノペディ」か「月の光」だろうなと思ったら「月の光」だった。やれやれと思ったが結局眠っていて、草津に着いたのが6時。煙草を吸って戻って、京都に着くまで朝日がちらつく車内で自分の位置が動くのをGoogleマップで眺めていた。

地方で育った人間にとって、東京はバスタ新宿から始まる。強張った体を引きずって目についたマックで朝食を食べる。大量の紙袋を持った老人がテーブルに突っ伏している。悪そうな中学生が店の電源で髪を巻いている。バスタが「バスターミナル」の略であることに気づいたのはずっと後のことだ。これはいつの記憶だろう。高速バスもマックも、そういう分身的な記憶の殺到が起きやすい空間だ。

日記の続き#1

横浜駅の高速バスターミナルの待合に座っていると、名前を呼ばれた。付いてきてくれと言われて付いていくとビルの外に20人ほど並んでいる。声をかけてきた人と同じ黄色いベストを着た人が引率の先生みたいに列を引っ張ってバスが停まっているところまで歩く。指定された席は独立した三列シートのいちばん前の真ん中。冷たいガラスに頭を付けて、カーテンの隙間から外を眺めたりするところを想像していたのに。正面に40インチくらいの大きさで見えていた景色も出発するとすぐにカーテンで遮られて、車内灯も消えて真っ暗になった。すっかり忘れていたが高速バスで楽しいのは昼行バスだけなのだ。夜行バスに初めて乗ったのは高校生のとき、当時付き合っていた人とその友達が東京にライブを聴きに行くと言って、ふたりだけだと心配だから付いてきてくれと頼まれたときだった。そのときも今思えばさんざんだった。まず岡山の倉敷から東京まで12時間もかかる。そのうえ4列シートだったので、とうぜん彼女と友達が並んで座り、通路を挟んで僕は知らんおっさんの隣だった。ぜんぜん眠れなかったが、帰り道——1泊もせずにまた12時間かけて帰ったのだ——のことは覚えていないので、さすがに疲れて寝たんだろう。