日記の続き#113

昨日のこと。相模湖からの帰りに横浜駅で彼女と合流して、週末帰省するときに親に渡すお土産を高島屋で買った。こないだ父からお中元の桃が届いて、そのお返しだ。結婚してからというもの、われわれと彼女の両親とうちの両親のあいだで、折に触れて何かが送り合われている。いまだに自分が構造主義的民俗誌の一コマになったようで落ち着かない。構造というのは恐ろしいもので、彼女の親は僕の「親」でもあるわけだが、親が増える——入れ替わるのなら話としてはわかる——というのはとても奇妙なことだ。しばらく前に友達に結婚について相談されて、例に漏れずそれは彼女にそれとなく結婚を迫られているという話だったのだが、僕は大きく言ってふたつのことを伝えた。ひとつは穏当な話で、そうはいっても結婚をめぐって女性と男性を取り巻く状況には非対称性があって、べつに僕らが結婚しようがしまいが誰も気にしないが、女性はなかなかそうはいかないし、他方でこれだけ夫婦別姓や同性婚が叫ばれるなか結婚したいと言うことの「ダサさ」もプレッシャーとしてある、それは考えてみてもいいのではないかということ。もうひとつは、親が増えるというのはとても奇妙なことで、これは面白いといえば面白いということ。じっさいたとえば彼女の親御さんは僕が日記本を出そうとしているのをなぜか知っていて、資金が足りないなら貸すとすら言ってくれたし(借りずに済んだ)、それはものすごく変な関係なのだと。そしてこういう「無理」を維持するためにものが送り合われる。それは面倒なところもあるが、逆に言えばそこには関係のはかなさへの自覚みたいなものがあって、それはそれで切実なことなのだと。そう僕が通話で話しているのを彼女が聞いていて、変わったねえと感心していた。

日記の続き#112

本当は昨日行くべきなのだが、今日、津久井やまゆり園の慰霊碑に参拝をした(他の言葉が思いつかないので「参拝」としたが、寺や神社でない場所に行くのにこの言葉を使うのはどこかしっくりこない)。昨日は事件から6年の追悼式があった。今日はとくに何もない。昨日は起きて動き出すのが遅すぎて一般参列の時間に間に合わなくなってしまって、今日行くことにした。佐々木健さんの展示を見て、彼にインタビューをしてから、ずっと行かなきゃと思っていたのだが、それが延びて、昨日も逃して今日になった。1時に家を出る。桜木町まで地下鉄で出て、そこから八王子行きのJR横浜線に乗る。景色がだんだん山がちになってくる。八王子で中央線に乗り換えて西に向かう。高尾を越えると長いトンネルがあって、どうやら高尾山を突っ切っているようだ。抜けたところに相模湖駅があって、そこからバスに乗る。ここまで来てもまだ人がたくさんいることに驚いた。バスの席も半分ほど埋まっている。「小原、底沢、千木良、宿村」と停車場の名前がディスプレイに並んで、不思議な名前だと思ってメモした。それが「おばら、そこざわ、ちぎら、やどむら」になったり「OBARA、SOKOZAWA、CHIGIRA、YADOMURA」になったりする。底沢ってどんな場所なんだろうと思っていると、相模川沿いを走る道が山の方に食い込んでいって辺りが木に覆われて暗くなり、崖に突き当たったところで鋭角にカーブするのだが、そこに小さな橋があって、そこに底沢というバス停があった。狭く深い岸を鬱蒼と枝が覆っていて、その下にあるのだろう川の支流を見ることはできなかった。やまゆり園で降りたのは僕だけだった。再建された施設のエントランスに「鎮魂のモニュメント」という水鏡を湛えた慰霊碑があって、献花台にヤマユリの花の絵と、遺族が公表を希望した7人の被害者の名前が刻まれている。ヤマユリの花でいいのだろうかということと、それが19本ではなく18本なのが気になった。水鏡には「ともに生きる社会かながわ憲章」が彫られ、それとは別に遺族の言葉が彫られた石碑が設置されている。相模川に降りる斜面を切り崩して建てられており、主な施設はエントランスより低いところに建てられているので、道路や慰霊碑からは受付の小さな建物だけがあって、その向こうは対岸まで抜けているように見える(エントランスを抱え込む大きな柵のような装飾がその印象を強める)。当たり前と言えば当たり前だが僕のほかに参拝客はいなかった。そこから少し歩いて、ささけんさんの《相模川》に描かれた景色が見える橋まで行く。どこも日陰がなくてとにかく暑い。沸き立つ木の緑に目が吸い込まれるようだ。川面があまりに直截に空を反射するので、一様に青い空がなおさら非現実的に見える。橋はそのまま分厚い山のトンネルに続いていて、ここが行き止まりなんだと思った。来た道を帰った。自分の汗の匂いが気になった。マップを見ると横浜に着くのは7時ということだった。

日記の続き#111

もう夕方の5時前。日記を書くのが遅くなってしまった。朝までかかってやっと(やっと!)博論本の序論ができて、それから寝た。しばらく前に水出しコーヒー用のガラスポットを買った。蓋についているフィルターにコーヒーを入れて一晩冷蔵庫に入れておく。しかし出来上がるのは苦めの麦茶みたいな腰の入っていない飲み物で、今まで何度かお店で飲んだ水出しコーヒーも決して美味しくなかったのに、なんでこんなしゃらくさいものに手を出してしまったんだろうと思った。水出しとかコールドブリューって言われるとキリッとした感じがするし、朝起きて冷えたコーヒーがあるのはいいなと思ったのだけど、コーヒーなんてお湯で淹れた方が美味しいに決まっているのだ。昆布じゃないんだから。お湯で淹れて氷で急冷しても溶けた氷で薄まるし、なんなら水出しの方が濃いんじゃないかと思ったが大間違いだった。中間的な形態としてお湯で淹れてそれをポットごと氷水で急冷するというやり方を試したこともあったが、手間も時間もかかるし、もともとアイスコーヒー用の豆でこれをやると苦くなりすぎる。やっぱりアイスコーヒー用の豆で、氷をいちばん上まで入れたグラスに熱いコーヒーを注いでガラガラと混ぜて飲むのがいちばんいいし手っ取り早い。お店で飲むときはなるべく細いプラスチックストローが挿してあると嬉しい。(2021年7月13日

序論のリライトからもう1年も経っているのか!それから1−3章しか進んでいない。気合い入れないと。

日記の続き#110

日記を書きやすい時期と書きにくい時期がある。面白いのはこれがべつに気分の浮き沈みと一致しているわけではない——自覚できる範囲では——ことで、何か原因があるというより、僕のなかに日記の書きやすさとしてしか現れない何かしらのリズムがあるんじゃないかとすら思える。書きやすいのはどういうときかというと、日中からちゃんと日記センサーに引っかかったものをその場で文としてある程度頭のなかで再生できているときで、書きにくいのは、出来事とともに日記のことが頭をよぎることはあっても、それをたんなる出来事としてしか処理していないときだ。あとから書く段になるとそうしたもののたいていは忘れられているということもあるし、たとえ覚えていても、それは何か、とても心許ないものに思えて書こうと思えなくなる。今がまさに書きにくい時期なのだが、そういうときはどうするかというと、いくらしょうもないと思うことであってもとりあえず書き始めてみるという一歩が要求される。これは結構キツいことだ。たいてい書いてみると何かしら報われる部分はあるとしても、それでも。スーパーで魚を手に取るときみたいな気持ちになる。そりゃ料理すれば美味しくなるのは知っているが、俺はこの濡れた死体を買うのか、というような。でもこればっかりは意思でコントロールできるものでもないし、こういう苦悩は後になると自分で読み返してもトレースバックできないので、本当にどこにも残らないのだ。だとしたらいちどくらいこうして正直に書いておくのもいいことかもしれない。何にとっていいのかはわからないが、それでも。

日記の続き#109

まとめて買った本が届いて、その10冊ほどを順繰りに読んでいた。ここ半年ほどいろんな新しい関心が生まれてまだばらばらとしているが、何かありそうな気がする。ざっと列挙すると統計学および計算言語学的なものへのエピステモロジー的な関心、ロジスティクスと理論空間のイメージの関係への関心、近現代の日本語環境への技術−言語学的(トーマス・マラニー)な関心、日記へのマイナー文学的な関心、語用論から見た分析哲学と大陸哲学の関係への関心、といったところ。2冊単著の依頼があるのだが、もともと博論本が終わってからやりますということだったし、こうした雑然とした関心を安直に切り出すことへのためらいもあってまだ取りかかっていない。現行の仕事としては博論本と共訳書と、いまは大和田俊との対談原稿の構成もやっていて、8月末までに渡すということになっている文芸誌の長めの原稿がある。今日は対談原稿を気軽に直してから博論本をやると、その気軽さが維持できてよかった。週1の京都以外どこにも出勤しないし依頼と打ち合わせと納品でしか仕事相手とも関わらないので自分でもなかなか気づかないが、僕は僕でいろいろやっているのだ。ぜんぜん忙しくはないが、つねに頭のなかがざわざわとしている。

日記の続き#108

博論本こぼれ話。第3章は「地層概念の地質学」という名前で、ドゥルーズの地層概念が1980年の『千のプラトー』から85年の『シネマ2』を介して91年の『哲学とは何か』に至る変遷のなかでどのようなことが起こっているかということを分析している。その推移において、最初は客観的なシステム論の構成要素であった地層概念は方法論的なレベルに食い込んできて、さらに哲学的体系を論じる際の重要概念になる。言ってみれば地層概念はどんどん「手前」にせり出してくるような運動を辿っている。博論の時点ではこの運動の追跡について、レオ・スタインバーグがピカソの「アヴィニョンの娘たち」の分析で、数十枚のデッサンから作品に至る過程で中心に置かれたテーブルが絵の下辺(つまり手前側)にどんどん飲み込まれていくのを発見したのと類比的なものなのだと説明したが、それはややこしい話をややこしい比喩で説明していてよくわからないので、とりあえず消した。比喩のことは概念的な説明が十全にできてから考えればいい。これは別の話だが、スタインバーグが面白いのはそうした習作をまたいでなされる変化を「アクション」と呼んでいることで、もちろん構図の変化は人物の行為や作品世界の通時的変化を反映しているわけではないからパラパラ漫画的なアクションでもないし、演劇的な意味でのアクションでもない。この「アクション」はどこに存在していて何によって担われているのか。

日記の続き#107

先に用事で都内に出ていた彼女と合流して、国立近代美術館にリヒター展を見に行った。皇居のお堀のなかにあって、ぜんぜん日陰がなくて暑かった。そのあと神田でうなぎを食べた。リヒターを見てうなぎを食べるのはなんだか良い東京という感じがするし、うな重はアブストラクト・ペインティングに似ている。やっぱり日付がタイトルになった写真に絵の具を乗せたシリーズと線とモノクロのグラデーションで描かれたクレーみたいなシリーズが気になった。毎日できることにしか興味がもてなくなっているのかもしれない。でもこれが1枚数百万円するんだろうなと思ったらそれはもう日課とも呼べないなと思った。

リヒターや箸でつつけば土用の鰻

日記の続き#106

ここのところさすがに生活リズムがめちゃくちゃだ。今日は1時から打ち合わせがあるので12時くらいに起きたけど、夕方にまた眠くなって9時くらいまで寝ていた。打ち合わせはなんだかすごく大きい企業が相手で、zoomでしたのだが、まず向こうに大人が3人もいたし、ただトークイベントに出るだけなのに事業全体を説明するパワーポイントまであって、こっちは寝起きだし、面食らってしまった。まあこれくらいが社会一般の社交の条件なのだとしたら、そのほうがまともなのかもしれないとも思う。メール一通でやるかやらないかみたいな、打ち合わせと言ってもルノアールでお茶するだけのものばかりなのがおかしいんだろう。

別の話。博論と博論本のいちばん大きな違いは、前者の第5章になったベルクソン『物質と記憶』で「私」という言葉がどう使われているかを分析した論文を外して(論集のほうに入れることにして)、思弁的実在論とか否定神学批判とか、現代思想の世界でここ20年くらいのスケールで起こった潮流のなかに自分のやっていることを位置づける文章に入れ替えようと思っているところだ。といってもまだ書いてはいないのだけど。ともかく、その課題がここ半年くらい頭の片隅でぐるぐる回っている状態で、今日ふと、千葉雅也さんがかつてグレアム・ハーマンの文章にはサーカスとかグレープフルーツとか暴風雨とか名詞が入り乱れていて、そこでオブジェクト指向存在論がある種そこでパフォームされているのではないかと指摘していたのを思い出した。でもそのオブジェクトの「任意さ」は、文法書の例文の任意さ、あるいはチョムスキーが「色のない緑の観念が猛然と眠る」というときの、純粋な形式として文法を示すためだけにしつらえられた任意さと同じなのではないかと思った。任意の項と、その任意さによりなおさら確かなものとなる構造。

日記の続き#105

また朝まで起きていて、布団に入ったがなかなか寝付けなかった。今年で30歳で、1ヶ月は31日だから毎日書けば0歳から30歳までのことが書けるなと気づいて、それでいろいろ考えていたら眠れなくなってしまった。「三月の5日間」ならぬ「八月の30年」という名前の日記内連載にしようとか、それぞれの年について何を書くかとか、アイデアと思い出が一気に押し寄せてくる。この日記の続きの書籍版レイアウトの案も思いついた。ポッドキャストの企画も思いついた。雑誌の特集も思いついた。父親が子供の頃、兄に脱穀機のなかに手を突っ込んでみろと言われて、突っ込んでみたら回転する歯で中指の先っぽが吹っ飛んだという話を思い出した。たしかに彼の右手の中指の先端から1センチくらいのところに傷跡が指輪のように一周していた。完全に切断されたがまた生えてきたらしい。父の昔話はケガの話ばかりだった。あと思い出したのは、小1の俳句を作る授業で、できたらそれを先生に耳打ちしにいくという仕組みで、そういえば「いいとも」のクイズもみんなタモリに耳打ちしていたということ。

日記の続き#104

1ヶ月以上苦戦していた博論本第三章のリライトにやっと目処がついた。とくに博論執筆時から処理に困っていた節があって、そこはもう合計5回くらい書きなおしているのだけど、今回でやっとしっくりくる形になってよかった。書きなおしは知的な作業であるよりテクストや過去頑張った自分に寄りかかろうとする惰性を克服する精神的な修練に近い。実際、既出の文章を集めた側面はあるとはいえ実質的には4ヶ月くらいで終わった博論の執筆よりなんだかキツいことをやっている感じがする。僕の傾向として、当の文章で扱っている問題の構造に沿って書くのではなくそのために扱っているテクストの叙述の継起にしたがって書いてしまうことがある。それは「だってこう書いてあるんだからそれを説明しないとダメでしょ」という甘えでもあり、『眼がスクリーンになるとき』は全体の構成が論じるトピックの並べ替えと直結していたのでそれでいけたという成功体験へのしがみつきでもある。自分で言うのも変だが、こういうのを捨てるってとても大変なことなのだ。今回のリライトでまた新しい書き方を作れている手応えはあるが、これもまた捨てなきゃいけなくなるのだろう。