日記掲示板

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1,000件のコメント

  1. 目がごろごろしていたから目医者に行った。目医者と書くと百目を思い出す。エロイムエッサイム。
    Twitter以外で気球の絵を初めて見た。途中で気球がブレ始めたので、誰かの誕生日が始まったのかと思って、あなたが生まれたことを祝福した。誰かは知らない。
    薬局で処方箋を渡したら、誰も一歩も動いていないはずなのにいきなり目薬が出てきた。魔法だ。エロイムエッサイム。

  2. 4/26
    好きな人が夢に出てきて、目が覚めた後で苦しみ、のたうち回っていた。ヒートテックに長袖Tシャツを着て外に出ると肌寒くて秋みたいだ。鼻水が出る。海の近くまで行く。海が見えてる。お昼、豚丼を食べる。人に話しかけられなかった

  3. ひじが痛い。ひさしぶりに鶏の唐揚げを食べた。おいしい。本を読むペースより本を買うペースの方が早い。積読は増え続ける。未読だけどタイトルが好きなもの、読んだけど内容はあんまりでタイトルだけ好きなもの、内容も好きだけどタイトルの方が好きなもの、それぞれある。寝すぎたのにねむい。昼は暑いけど夜は寒い。うれしいことがあってうれしい。悲しいことがあって悲しい。円城塔『これはペンです』(新潮文庫、新潮社、2014年)を読む。はからずも、こないだ読んだ川添愛(著)、花松あゆみ(絵)『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』(朝日出版社、2017年)とつながる。Kabanagu『泳ぐ真似』(11分、2021年)を聴く。五十嵐太郎+東北大学五十嵐太郎研究室+市川紘司編著『窓から建築を考える』(彰国社、2014年)と宍戸常寿、石川博康編著『法学入門』(有斐閣、2021年)を買う。味噌汁に梅干しを入れるとおいしい。テレビで見てからわりとハマってる。オクラを煮る。おいしい。寝る前にレベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』(東辻賢治郎訳、左右社、2017年)を読む。まぶたが重くなったら寝る。

  4. 冷蔵庫からお茶ポットを取り出したらポットの本体と取手をつないでいる金具が経年劣化で外れ本体が落下しガラスは粉々、床は水浸しになり片付けるのがたいへんだった。ガラスが割れた途端、凶器に変貌するのは何度遭遇してもショックだ。おそろしい。それでもプラスチックやペットボトルに簡単に置き換わらないガラスの存在理由があるんだな。

  5. 少し前から紙媒体で見られないことを前提とした日記を始めて、それはそれで楽しんでいるけどじゃあやってたブログはなんなんだというのがよくわからなかった。福尾匠の掲示板で質問したら、そもそも人に見られないと日記を続けられないことと論文や批評ではまずあり得ない「言えないこと」の至近距離で書くのが新鮮ということを言っていて、なるほどと思った。同じ日について同じ人が違うように書く。明らかに時間が足りなそうだけど、気が楽になった。

    4.25
    昼過ぎに起きる。風呂を出て、ニ人の同居人が家を出ていることを確認してから少しギターを弾く。飽きたところで駅前のベローチェへ、アイスカフェオレ。溜まってしまった日記を書いてるとMからの電話、彼女は部屋でゴキブリが出てしまって退治する間電話を繋いでおいて欲しいと言っていた。一ヶ月前くらいに東京から群馬に引っ越して、長屋みたいなところで一人暮らしを始めていた。電話がこんなに手軽じゃなかったら彼女のゴキブリとの時間は僕にはないと同じだと思った。結局彼女は僕のiPhone6sの充電が少ないことを気遣って、そのゴキブリがどうなったかはわからない。
    その電話中に七十過ぎくらいに見えるおじさんに肩を叩かれ話しかけられた。ここ一ヶ月くらい喫煙ボックスで話すようになったおじさんおばさん(だいたい僕が行く日は毎日いる)の界隈の人らしく、同じ千葉県出身なこともあってか「今度会ったらご馳走するから話しかけてな、千葉県ボーイ」と言われた。お互いマスクもせず、おじさんは自らの顔を僕の顔に拳四つくらいまで引き寄せていた。しばらく誰とも話したくない気分のまま作業をして、帰って映画を観る、夜勤へ。

  6. 四月二十五日。
    駅ビルの銀行に生活費を下ろしに行く。
    帰りに少し雨に降られた。
    スーパーに寄り白米とおやつを買う。
    家までの道の途中で猫さんたちの定点観測。今日はいつもの三毛チビさんがいつもどおりに少し警戒して去って行った。なかなか馴れてくれない。
    団地の三毛さんはトカゲでも見つけたのか跳ねているのを、キジシロさんが少し離れて様子を見ていた。

    夜來風雨聲
    花落知多少

    午前2時、風が強い。
    そろそろ寝よう。

    春眠不覺曉

    5時頃になると鶯が鳴き始める。

    處處聞啼鳥

    春の夜中、「春暁」の一節を想う。
    ああ、月並みな。

  7. かぜがつよい。渋谷を歩いていたらテレビ局のカメラマンとレポーターがいくつもある路上で350ml缶を片手にたむろしている若い男女の集団のどれに突撃しようか決めかねているところに遭遇した。つよいかぜが吹くたびになにかがかきまぜられているような気がした。可能なら、ワンチャンスありそうなら、今日はラブホテルに行ってほしいとおもった。あのカメラマンとレポーターがそれぞれ帰る部屋は想像を絶するほど想像通りで気分を害するとおもう。彼ら自身はなんら問題ないと考えていることがよりいっそう気分を害するはずで、あの若い男女たちのようにふたりでラブホテルにいくのでなくても、仕事を終えたら公園かどこへ寄ってコンビニで買った缶ビール片手にいましがた取材した若者たちがいかに不潔で不快で日本の未来はほんとうにまっくらだねって、どうしたらいいんだろうね、まったくだめだよ、ほんとうに、などと語り合って、それから、じゃあおつかれさま、またあした、などと言い合って、ふたりはそれぞれ帰路についてほしい。つよいかぜがかきまぜているのはいったいなんなのかとても気になってしかたがない。大人たちがまだリビングで酒を飲んでなにやら大人みたいな話をしているのを、もうあなたは寝なさいと言われて素直に隣の部屋の寝室の布団にひとり入ったけど、気になって、いったいなにを話しているのか。いったい外ではなにがおきているのか。さいきんほんとうに改めてビビったのは、金原ひとみが金原ひとみの小説を書いていて、金原ひとみの子供たちは10代の後半とか二十代になれば自分の母親が書いた小説を読むことができる、そのことを金原ひとみはわかってる、ということがこの地球上でおきているということを認めることはほとんどの人には情報として処理できない。じぶんだって処理できているとはいえない。そうだね、そのとおりだとおもう。ほとんどの人が他のほとんど人からしたら想像を絶する生活を送っているということは考えるほどシンプルなことにおもえてきて、このアタマというのは、そうカタカナがお似合いという感じだ。今夜だってまだまだ眠らない人たちはいて、眠らないのだからせっかくだからホテルでもいこうよと渋谷の人たちは肩を寄せ合った。毎日そのように過ごして、飽きたら、みんな掃除とかしだしそうで、ほんとうにそれはそうなんじゃないかとおもう。インテリのうぬぼれと亜インテリの没落と生活者の浅薄な諦観がいつまでもそこらじゅうにいすわっている。病院と三割の病院はどんどん異国化された。救急車が横を通り過ぎる。運転席と助手席に男のひとが二人いた。なんで彼らは救急車を仕事に選んだのだろう。なんとなくなんだろうなと想像する。なんとなく選んだけれどとんでもない。なんとなくでとんでもないところまできてしまった、というようなことがありすぎて、ついに重い腰をあげて、微積分についての本を読み漁ることにしました。

  8. 玄関のドアをくぐるずっと前にただいまと思った。いつからだかは思い出せない。

  9. どこを向いてどんな気持ちでいたらいいのだろう。もうずっとわからない。いなくなった人間の箸の持ち方が下手くそだったことをふと思い出した。可愛かったので何も言わなかった。ついてまわる孤独。

  10.  寝たり起きたりを繰り返していたら14時すぎだった。合間にたべるご飯と受け取る宅急便。目覚めたとき本当に体ががたがたで、言い回しとしてだけ知っていたそれが我が身のものになる。なんとか洗濯機を回して洗濯物を干した。けれどあとはスマホを見ながら寝転がっていただけ。君からの返信をずっとまっている。

  11. 今日は少し掃除をした後、図書館へ行った。
    今日はフリーで嬉しいのに、昨日バイトがあったことにより、今日は色々終わらせなければ、と忙しない気持ちだった。
    昨日、通販で買ったインナーが届いた。思い切り顔に押し当てて匂いを嗅いだら、化学繊維の臭いがした。
    今日は集合住宅のベランダに縦吊りされている鯉を見つけた。漁船に釣り上げられたマグロみたいだった。
    たけのこごはんとさつまあげとかの味噌汁も作った。
    新型コロナウィルスでどうなるかと思ったけど、私の生活はあまり変わらない。
    棒にも引っ掛からない小市民の生活なんてそんなもんなのだ。

  12. 今日は掃除をして、そのあと図書館へ行った。今日はフリーで嬉しいのに、昨日バイトがあったから今日は色々終わらせなければ、と忙しない思いがざわめいていた。
    昨日は通販で頼んだインナーが届いた。思い切り顔に押し当てて匂いを嗅いだら化学繊維の臭いがした。
    今日は集合住宅のベランダに鯉が縦吊りされていた。漁船に釣り上げられたマグロみたいだった。
    たけのこごはんとさつまあげとかの味噌汁も作った。
    新型コロナウィルスでどうなるかと思ったけど、私の生活はあまり変わらない。
    棒にも引っ掛からない小市民の生活なんてそんなもんなのだ。

  13. 4/25
    通知が来て女の子の配信を見てしまう(関西弁だと、「見てまう」か) ずっとギターを弾いて歌っていて、切実で感動的に思えてくる。。菊地成孔がSIMI LABが夜通しラップしてるのを見てて感動したと言ってたのは、こんな感じか。
    学校を出て以来会ってない友達の、インスタのストーリーで、位置情報で「朝日湯源泉ゆいる」って出てて、義眼少女ぴぴるという義眼のYouTuberのひとがいたのを思い出した。
    朝、ラジオで子供が昆虫館の職員に「蚊や蝿には全てスローモーションに見えていると聞いたのですがどんなふうに見えてるんですか?」と質問したのを偶然耳にした。
    薄暗いゲームセンターでは、中には結構人がいて、おばさんはマリオカートみたいなゲームをやっている。
    宣言の間、昆虫館は休館になるけれど職員の方は虫の世話をするために行くと言っていた。今日はラジオの収録のために仕事は休んできましたと。
    ちょうどその時「湖面に向けて撃った銃弾 氷上で駒のように回転するミラクル」っていう動画がおすすめに出てきた

  14. 「シン・エヴァ」を観てから宇多田ヒカルばかり聴いている。Spotifyのアーティストページを上から順に流しつづけていたら、「たいがいの問題はとるに足らない」という歌詞が不意に耳に入ってきた。ちょうど1年前はそうは思えなかった。仕事おわりに河川敷で煙草を吸いながら川の音を聴いていたときは、とにかくしんどかった。毎日更新される感染者数がなんの数字なのかだんだん分からなくなって、たびたびスマホを川に投げ捨てたい衝動に駆られたが、臆病なのでそんなことはできなかった。吸い終わった煙草を携帯灰皿に入れてノロノロ帰路をたどる日を何週間か続けた。

    たぶん、明日もまた仕事終わりにあそこで煙草を吸うと思う。状況が好転したわけではないが、去年ほどの深刻さはもうない。気がついたら、すでに代わり映えのない毎日になってしまった。

  15. 今日は延滞していた本を図書館に返しに。
    上の階には市民用のギャラリーがあって、地域の作家の展覧会をやっていた。絵を見るのは久しぶり。私は遠視と乱視が酷くなっていて、キャンバスの絵肌がよく見えない。眼鏡は読書などの手元用で絵の表面から90cm位離れたところ位までしかよく見えない。でもその絵は大きいので全体を見るには近過ぎる。眼鏡を外すと絵が滲んでいる。絵を見るほかでは全く気になっていなかったので驚いた。自分からはっきりと一定の距離にだけピントが合う表面が存在していて、そこで空間を切断されているみたいに感じはじめる。絵はそのことを思い知らせる機能を発揮するだけのものになってしまい、急に奥行きを失った。

  16. YouTubeで「THREE THE HARDWARE 4.5-1『ディストリビューション・センター』」を観る。朝風呂。昼寝。散歩。日差しが強い。新しいサングラスほしい。ひさしぶりに雲を眺めた。花粉はおさまったみたい。映画館はほとんど閉まってる。本屋は開いてた。大野晋、浜西正人『類語国語辞典』(角川書店、1985年)を買う。カネコアヤノ『よすが』(40分、2021年)を聴く。茄子を煮る。おいしい。

  17. 昼、高倉二条でつけ麺を食べる。つけ麺って麺は冷たい状態で出されるんですね。知らなかった。あまりピンとくる味ではなかったが、どうやら同行者も同じ感想だったようで、あれこれ辛口評価を言い合いながら鴨川まで歩く。途中、コンビニでビールを買い、川沿いでスケボーの練習をする若者を眺めながら飲んだ。いい風が吹いていた。

  18. バイト。疲れ果ててしまった。最近若い子が増えたおかげでなんだかキャッキャッした雰囲気が増して余計に疲れる。いつも通り業務外のことで誰とも口を聞かず帰る。
    帰り道に昨日の成果確認。高音が削れるはずのイヤホンでも耳が痛いくらい高音が出ている気がする。疲れているからかもしれないけれど。まだまだ先は遠い。

    車酔いでへばっているらしい同居人にご飯を1合半炊いておくようお願いした。帰ったら名古屋の話を聞こう。今日はとても疲れた。

    1. 朝、雪が降っていた。寒かった。寝不足のせいでイライラしながら仕事した。同僚から熱があるので休むと連絡があった。事務的に対応し優しくなかった。ちょっと羨ましかったのかもしれない。イヤリングを落として失くしたと休憩中トイレで気づいた。ピアスなら落ちないんだろうな。イライラしていたけど、周りの人が気を使ってくれたり優しくしてくれた。残業になってすこし疲れた。帰り道も風が強くて冷たくて寒かった。家に着いたらいつもどおり猫がごはんくれって鳴いて寄ってきてかわいい。

  19. 4/24 子に足をつかまれた。午前中は妻に文章にまつわる講釈を垂れたが、いかにも自分が何らかのキャリアを積んできたかのように振る舞いたかったのだと思う。今回は喜ばれたが、今後これを別のところで行ったときにどうなるか、そういうことを近頃常に考えている。しかしその考えというのは事後的なもので、後悔は後から来て先に立つ。
    午後は面接が一件あった。「当社(会社じゃないけど軽く濁してこう書く)でなにをしたいですか」と問われて、「正直、なにもないんですよね」と答えた。出たとこ勝負、会った人による、ということもあるし、なにかをしたいということが叶うことを信用できないということもあるにはある。管理職がなにか「やりたいこと」のために存在するのは邪なことなんじゃないのかという思いもある。ただ、そんなやつを採用しようと思うのだろうか。
    他の質問はスラスラと答えられて、「ずいぶん雄弁で…」と苦笑されたが、「なにがしたいか」だけが答えに窮した。その質問をしたひとは以前の職場の先輩で、僕はまたこの人と仕事がしたいなと思った。行きがけには客がみつけられない駅のお菓子売りに同情して、家族に買って帰るかと思ったが、夕方には案外、人がいて、少し興ざめしてしまった。

  20. ゆうべ父が居間でテレビを見ながらなにかしていると思っていたら庭から採ってきた木の芽(山椒の葉)を枝から外していたのだった。根気のいる作業だが父は時々そういうことをやっている。今朝、母がその山椒の葉っぱとちりめんじゃこを炊き合わせてちりめん山椒を作ってくれた。煮込むのではなく浅く炊き合わせた感じ。山椒の爽やかさにマッチして美味。父母と暮らしているからこんな恩恵にあずかれるのだが、私はと言えば庭のどこに山椒の木が生えているのかも知らないのであった。

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