日記掲示板

 ここは日記専用の掲示板です。どなたでも気が向いたときに日記をコメント欄に書いて置いていってください。

  • コメント欄に名前と日記本文のみを書いてください。メールアドレスとサイトURLは記載不要です。
  • ここには日記しか置かないので、誰かの日記にコメントする際は雑談掲示板に書いてください。投稿日時のところに当該の投稿への直リンクがあるのでそれをコピペするなどしてください。
  • 投稿に用いる名前は雑談掲示板で用いるものと同じものにしてください。名前のルールについては雑談掲示板冒頭を参照してください。

1,000件のコメント

  1. 『地に足をつけてやっていこう』と売れない芸人はよく言ったものだ。

    私が今いるこのギャラリーは、私を含め「まがいもの」ばかりだ。

    ここに「ほんもの」は2人だけ。

    1人はTさん、もう1人はAさん。

    Tさんはインターネットで検索すると、陰気な後姿しかでてこない謎のおじ(おじい?)さん。

    ギャラリーの来訪者への対応から、古美術や古道具を心から愛している様子が伺える。

    Aさんはこのギャラリーを主宰している。よく知らなかったが、厳かな立ち振る舞いを見て、すぐにAさんだと気付いた。

    似たような人たちが、同じような言葉を発しながら、大金を支払っていく。

    ゆったりとした空間の中で、静かに湧き上がるものを感じた。

    「ほんもの」になりたい。

    私の領域で、私ができること、求められることをして。

    ボケかけた自分の輪郭を再び捉えた。

  2. 土曜日、橋を越えて尺八を持ち散歩に出掛けた。その途中、若いカップルと擦れ違った。考えてみると、二十代前半は若いせいもあっただろうが、気軽に女の子を誘ってみたり、あるいは友人なのか恋人なのか分からない女の子というのが何人かいた。もちろん彼女も期間は短かったがいたのである。その頃は働いていて、まあ普通に収入があったし、あまり後先のことを考えていなかったのである。ただ、自分の身体に問題があったり、薬物乱用などしていたから、普通に過ごせていた訳ではなく、恐いもの知らずだった。三十を過ぎて、社会に戻った時には、もう自分の回りには誰もいなくなっていた。それがこの歳になるまで続いている。これから先も、同じかと思うと暗い気持ちになってしまう。

  3. 真夜中にテレビを消して本を読み上げる己の囁き声は

    図書館で借りた六祖壇経という本の中にあった一節…定慧は一体にして是れ二ならず…。何時も通りにシャワーを浴びてから、お酒を飲みつつドラマか映画を点けていた。夜も遅いのでヘッドフォンで観ていたのだが、全然…何を観ても、観ていられない状態だったので、今日図書館から借りてきた本を、小さく声を出して読んでいた。すると、眠くなったり心が安定してきているように感じた。禅宗のお坊さんは専門道場に入ると、はじめは本など読まずに只管に座禅をすると聞いたことがある。自分も何処かで座禅だけして、奉納・謹呈して気が向いたらへたれ短歌でもよんでりゃ十分。と思っていたが、本を読む…何かを学ぶ必要があると…現時点で不足しているのだなと思うに至る。

    うたを灯してLIVE : 坂本美雨 with CANTUS feat FOLKLORE「in aquascape」

  4. どんどんと感染者数 膨らんでグラフの波はどこまで高く

    今は冬の一番寒い時期。風邪をひく方が多いのだろう。コロナの感染者数が、過去最高…東京では、なったのであった。夕方五時過ぎにヤフーのサイトでそのグラフを一応見るのだが、あー伸びたなー…。と思うのだった。

    溜め込んだ映画を見ても楽しめず次々と消し続ける深夜

    この処、夜中に酒を飲みながら映画をじっと観ていられなくなった。先が読めたり、自分が入り込めない…詰まらないのは、どんどん消すことにした。確かに観て、よかったと思える一作というのはある。しかし惰性で時間を過ごすことが、非常に惜しく思われてくるようになった。

    世の中は虚しいものと知りながらそれでも生きる目的は何

    酷い歌…。以前はよく植物に生まれたかったなと思うことがあった。毎日、その時その時 選択的に生きようと思っている訳ではなく、何となく生きている状態…。悩み、苦しみ…辛い心境であれば疑問も生まれる。何かのスポーツの選手のように、大会で優勝するのが当然目標…とかいうのと違い、勝ち負けがはっきりしないのが人生というものであろうか、と。

    毎日の決まり決まった習慣を崩して抜ける退屈の際

    昼前に起きて、今日は用事を済ませ土手を一万歩…歩きながら、新しく入手した二尺管を吹いた。難しい曲は途中のグラウンドのベンチに座って吹く。帰宅したら五時前だった。座禅の後に食事をして、後はシャワーと酒飲み映画…。三時過ぎには休む。こういう生活のパターンを変えてみたいと、昨夜思っていた。眠らないで始発に乗り、明治神宮を参って、その後代々木公園で尺八を吹くとか…できたらなあと。

    Massive Attack – Paradise Circus

  5. 20年間、出したりしまったりしながら使っていたディスプレイをPCリサイクルに出す。型が古すぎて有料にはなったが。
    読みたい本、読むべき本がいくつもあるが、優先度がつけられないので気が向いた時に気が向いたものを読んでいる。
    考えが取り散らかっているが、そのうち収束するだろう。
    でなければ、考える力が足りないということ。読み直し、考え直すところから始めよう。

    とある星占いによれば、今年はあれこれ捨てたり整理して、何かを始める年になるそうだ。切断と生成変化、とか聞き齧りのドゥルーズみたいだけれど。

    正月は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし

    ここで「メイドの旅」という変換候補が出たあたりで少々気が抜けて苦笑を禁じ得ない。

    何かが始まり、何かが終わる。
    当たり前過ぎて気にしない方が良いことが気になることもある。

  6. 今日は何とも、苦しい一日で散歩に行かなくては…という気持ちもあったが、室内でやることが幾つかあったので止めにした。主導権はあくまで自らにあるのだが、外部に影響を受けて振り回されているようだ。悩んだのは特に二つ。一つは名前、それとお金の使い道である。私は宣伝、言霊とかコトタマを広めよう…そういう意図は廃した方が良い。まあ宗教ではないが、自分とは関わりのないことだから。そして時計に関して…確かに時間を尊ぶのは大切だが、身の丈にあっているのか考えた方が良い。そのお金は、交通費の妨げになる、それをよく考えることだ。こういう日がたまにあってもいいが、暫くしたら尺八が届く…そのお礼の品の送付…とカレー作りである。名前と時計、交通費には本当に悩まされる。何か本質的な処に問題があるのであろうか。

  7. 今朝はいつもより少し早く目が覚めた。シャワーを浴びたあと乾燥肌用に処方された保湿剤を全身に塗る。全身の表面が保湿されていると体が冷えやすいようで、寒気を強く感じた昨日は葛根湯を飲んだ。今日は昨日の経験を踏まえ体を冷やさないように気をつけて出勤、道が昨日よりは空いている。仕事の合間に福尾さんのブログを読み、19のいのちのサイトを見る。事件について、ネット記事や雑誌から得た情報で何かを言おうという気持ちになれない。仮想される他者の目を気にせず語るだけの思想が自分にはないのだなと思う。そしてまた、事件が私自身にとっての現実になるには実感が足らず、ニュースという域を出ない。体験を求めた時に、佐々木健さんの個展にゆきたいと思ったのと、展覧会とはどういうものなのか再認識された。

  8. 天(あめ)の吹男(ふきを)の神/島田正路著「古事記と言霊」P.110

    尺八を始めてから、多分十年ぐらい経つ。その頃は確か、短歌作りのネタ探しに自転車で近所…自転車で移動できる範囲を散策していて、時折文庫の万葉集を取り出し、大きめの声で読み上げたりしていた。座禅会へも、定期的に通っていた頃で…そのお寺の本山が国泰寺と云う虚無僧寺?かよく知らないが、その寺の所伝の本曲もあるぐらいだから尺八に縁の深い寺の末寺の座禅会に行っていた。座禅をする前に住職の法話があり、その時にお寺の本堂の仏前で尺八の献奏をする方がいるとか耳にした覚えがある。屋外…自然の中で詩をよむ…ことから同じように尺八でも吹いてみようかと、関心が向いたのである。しかし、当時知る限り尺八は高額で自分には手が出せないと思っていた。だからビニ管と云って水道管のパイプの片側に手を加えて、尺八のように吹けるものを入手してみようと考えていた。しかし、過去に独学で楽器を始めて失敗した経験もあったので、尺八以前に尺八を近くで安く教えてくれる指導者を探した。それが都山流の師範の方で、修験道の僧侶でもある方だった。月一回のレッスンで三千円。プラスチック製の尺八も無料で貸し与えてくれた。

  9. もう、かれこれ十六年前から、隔月で通っていた中華店が閉店してしまった。因みにその店でカツ丼以外は注文したことはなく、自分の知る限り、最高のカツ丼も六百五十円であった。揚げ物で有名な和幸とか…カツ丼と言うよりは、カツ煮丼だった。それとは違い、揚げたてのカツをパリパリと仕上げてくれた。三十代に入って、施設を出て谷中に九ヶ月程住み、その後結局実家に戻り、始めは働きもしたが辞めて、一日五百円を両親から与えられて生活していた時期があった。その頃に巡りあった店、カツ丼で当時は外食…六百五十円は大きな出費だった。非常に残念ではあるが、近所に何ヵ所かカツ丼を出す店があるので、後釜の店?を探そうと思う。

    この処、時計…他にもあるが高価なやつが欲しいようでとり憑かれたように、ウェブ上で延々と見漁っている。他は電子辞書だ。尺八も少し前まで悩みの対象だったが、先生に相談したら二尺の地無しを作って送ってくれるとのことで、収まったのである。代金も不要…とのことなので、今までに出会った尺八の先生の中でも、本当に商売っけのない方だった。時計についてはどこかで、時間をもっと有効に使いたい、一分一秒に向き合っていたいという気持ちがあり、この十年…は腕時計をする習慣はなかったと思うが、急に芽生えたのであった。なら何千円とかのデジタルで十分か…と思いきや、アナログでオートマチック…一生ものとなるような…とどんどん要望も膨らみ、三十万ぐらいの品のをローンでの購入を申し込んでおいて、自分には分不相応だし、高価な時計をしたからって何が変わるのかと慌ててキャンセルをしたのだった。

  10. 朝起きてTwitterを見ると、奄美、鹿児島、津波、トンガ、火山、という言葉が次々と出てきて、何が起きていたのかわからずやや混乱。昨夜は22時には寝ていたので、世の中全般からずれた感じがした。昨日は瞼が痛く頭も痛かったが、それはもしかしてトンガの気圧のせいだったのだろうか?とか、考えたが考えてもわかることではなかった。それはそうとして、やるべきこと、やりたかったことは無事消化できて良い休みとなった。明日からもしっかり働くぞ。

  11. 津波警報に起こされた
    妻が音の消し方を教えてくれた
    眠れなくなり風呂に入って歯を磨いて映画を2本見た
    ひとつは21ブリッジ
    ほどよくB級で大雑把で、でも哀しい話でおもしろかった
    もうひとつはウォン・カーウァイのブエノスアイレスの撮影舞台裏的なものだった
    昼間ちょうどウォン・カーウァイ、というか恋する惑星のことを思い出したので、60分という時間もちょうど良くて見ることにした
    「人生のある時点における終止符」
    という言葉がやけに印象に残った
    たしかに終止符は一度ではなく何度か、何度もある
    終止符を然るべき時に打つのが成熟ということかもしれない
    昼間見たロメールの映画も結局は終止符についての映画だったような気がしてきた
    終わり方、終わらせ方
    映画は必ず終わるのだから当たり前っちゃ当たり前なのか
    まだ眠れない
    もう少し長い映画を見ればよかったかもしれない

  12. 一泊二日の出張まえに、家にあるゴミ類や生ゴミ受けを新しいものに変えて出かける。ただそれだけのことなのに、帰ってきてきれいだとうれしい。片道4時間ほど掛かる場所なのと、最近自分は突然パニックになったり不安感で脱力してしまうので余裕あるスケジュールを組んだ。ホテルではうまく眠れず、会場では緊張して頭がピリピリして、帰りの電車では頭が疲れ果てて、やっと自宅に帰宅して湯船に浸かってもう寝るところ。家は最高、家、ありがとう。

  13. 明け方、久しぶりに名前を呼ばれた。それだけで凝り固まった何かが解けていく心地がした。まだすべてが遠いけど、諦めるには早い。もっともっと時間がかかると思う。長い睫毛がゆっくりと持ち上がって、水晶のような眼に私が映っているのがみえた、みえてそれが嬉しくてまた泣いてしまった。「よく泣くねえ、私の分まで泣いてくれるんだねあなたは。」扉が閉まるとき、私から目を逸らした。

  14. 久しぶりに散歩に出ている。
    いつもの運動公園、平日のこんな時刻には高齢者ばかり。テニスに興じるご婦人グループ、グラウンド脇のベンチで詩を吟ずる男性、弁当を食べている夫婦らしき二人。散歩の犬。野球場は整備中。
    概ね静かな空間だ。
    黒白の猫が一匹。
    日常というには何も無さすぎるので、吟詠の声が響くせいでむしろ異空間のようにも思える。
    水分を補給したらまた歩き出そう。
    買い物のコースと購入予定品のメモを確認、と。

  15. 先月末に自転車を押しながら、八百屋に向かっていたら躓いた。その痛みは、歩けない程ではなかったが、砂利道を進んだり、下り階段を降りる時には注意が必要だったし、座禅する時も左足を置く位置に気を払った。直ぐに治るものと思っていたが、今月十日を過ぎても同じような感じだったので、整形外科へ行って、レントゲンを撮って貰ったら剥離骨折だとのことで、回復迄に後二週間は掛かるとのことだった。今はサポーターのような物を巻いていて、随分と楽になった。クリニックの帰り道に以前から気になっていた無人販売の冷凍餃子を三十六個買った。一食九個とすると、四食分のおかずになる。焼いたり、茹でたりしてもう半分は食べたが中々に美味であった。一食二百五十円、一個三十円弱だ。雷神餃子…とか言ったか…。食事のレパートリーが増えて、非常に満足な思いである。考えてみると、生活はかなりの?緊縮財政…、外食は殆どしていない。明日は八百屋と眼鏡二つの点検に行くから序でに馴染みの中華店へと行こうかどうか悩んでいる。

  16. 恋人と遠距離恋愛をしている。
    遠距離恋愛をしていると書くとなんだか他人事みたいで不思議な感覚だけれど、動詞的に言うとそういうことだ。
    そのせいか、距離についてよく考える。
    距離と速度と時間。物理学。
    公式を時間tについて解いてみた。(解の公式を使ったのなんて5年ぶりくらいであっているか不安)
    2次方程式なので、tについての解は2つある。
    今この瞬間tの自分と、それとは異なる「ありえたかもしれない他社として自分」の同時存在性が数式によって暗示されているようでなんだか可笑しかった。

  17. 昔住んでいた土地に
    また住んでいる
    目の前は山で
    その急斜面には
    梅が咲いている
    ひとりの男が家の側を通る
    窓越しに見ていると
    うしろの住人のようだが
    そうではないかもしれない

  18. 気が付いたら、今日も私は家事をせずに全てを同居人に任せて過ごした。
    忙しいなりに部屋は散らかっていけば良いと思っているので、片付けてもらっているということが忍びないし、正直なところ綺麗に整えられた家に帰りたくないと、ここ最近は毎日思っている。
    体たらくとは、私のことか。
    それでも自分の家なのに居心地が悪いということは事実で、こんなに疲れているのに、どこにも帰れない自分に優しくしてやりたい気もする。

  19. 昨年買った日記に毎日日記を記している。食べたもの、仕事のこと、雑感など。ここに書かない間にもいろんなことがあったが、なんとか生きながらえていきたい。健康が一番。

  20. 1/11 新宿に行こうとして電車で移動してたけどバカバカしくなりやめた。降りたところは昔の会社の近くでそこでご飯を食べた。12月くらいから詩人の人が書いた評論集をだらだら読んでいたが読み終わった。ご飯というのは天丼を食べたのであるがお茶が美味しかった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA