日記掲示板2

日記掲示板の投稿数が999件に達し、新規投稿ができなくなっていることに気づいたので新たに作りました(もしその間投稿できなかった人がいたらすみませんでした)。

ルールは同じで以下の通りです。
(1)以下のコメント欄に名前と内容だけを書く(アドレスは不要)
(2)名前は本名やどこかで使っているアカウント名ではなく、このサイトだけの通称を使用すること
(3)日記以外のものは雑談掲示板に投稿すること

ちょうど僕も1年続けた日記が終わって、新たに日記の続きを書き始めたところなので、みなさんもそれに並走するかたちで気軽に書き込んでいただければと思います。

2022/04/08 福尾

299件のコメント

  1. 2月3月は毎日テレワークだったのだが、徐々に出社がふえ、ついに毎日出社を命じられてしまった。
    以前はたまの出社時に同僚とランチに行っていたが、毎日となると出費が痛いので弁当をもっていった。20分で食べおわり、40分の自由時間がのこる。テレワークのお昼はYouTubeをみてだらだらしていたが、オフィスでスマホをいじりつづけるのも味気ない。
    デイリーポータルZのよざひかるというライターが、「今日の休憩」と題したブログに会社の休憩時間にやってみたことを投稿していた。たしかに40分もあるとなにかやりたくなる。
    天気がいいので散歩に出た。最近の気候は文句なしに過ごしやすい。ずっと続いてほしい。ウーバーイーツの配達員が次の配達に向かう前に電話で仲間?友達?と話していた。一日このあたりを回るらしい。

  2. 新宿駅でYes!アキトという若手芸人とすれ違った。前にも下北沢ですれ違ったことがある。東京に住んでいると、たまに若手芸人を見かける機会があるが、迷惑かなと思っていつも声をかけずに去ってしまう。
    そう考えるとスパチャはハードルが低い(したことないけど)。相手が好意を受け入れられる状態であると分かっている=迷惑ではないと判断できるから。現実のコミュニティ内で恋愛するよりもマッチングアプリ経由の方が気を使わなくていいから楽、という話と似ている。

    帰宅してお風呂に入っていると、時間指定の宅配が来てしまった。インターホンを2回押して帰って行った。申し訳なかった。置き配でいいのに。

  3. 久しぶりに早朝(朝5時)に目が覚めた。いまはだいたい8時ぐらいに目が覚めれば良いと思って生活しているけれど、労働があったときは8時から働いていた日もあったし、8時から働くには5時ぐらいから準備が必要だった。

    昼夜問わずなんとなく手持ち無沙汰だから寝る、ということが今の身だとわりとあって手持ち無沙汰だからセルフプレジャーをするということも当然ある。恋人がいたらなんとなく触れ合ってその延長線上で子供が生まれたり(と、書くのはあまりに相手側への配慮が足りないけれど)するのだろうか?

    『冷血』は8割ほどを読み終わった。言葉も現実に起こったことも因果関係のグラデーションでしかなくその因果関係の因果が常識やわたしの想像を越えたとき、拠り所になるのは実際に起こった出来事という事実性のみだ。

    今日はいくつかのアクションを起こしてみる予定。

  4. ZOZOTOWNでかなりまとめていろいろ買った結果10万近い額になったのだけど、支払い方法として2か月後まで支払いの猶予がある「ツケ払い」が選択できてしまって動揺している。え、けっこうな額だけどいいのツケで。もしこっちが払わなかったらどうすんの。とか思うけど、これは結局クレジットカードの引き落としの仕組みとなんら変わらないので、それなら最初からクレジットカードで払えばよい話なのである。それを「ツケ」というネーミングでちょろまかして手数料をとっているのはZOZOなわけだから、こっちがいいのとか思う必要は全然ない。ないんだけど、なんか心配になる。これなんの心配。

  5. 恐ろしく体調が不良で、ネットで色々調べてみたりしてしまう。体力の自信のなさが不安を増大させて、数ヶ月前から頓服で抗不安薬を処方してもらっている。手持ちが残り一粒になってしまい、お守りの足りなさが不安を増幅するので、担当医の来る日を待てずに無理を言って別の医者に少量処方して貰った。でもまだ飲んでない。
    朝開いたInstagramに、もはやこれが誰なのかわからないアカウントの方が、鍋に溢れんばかりの何が入っているかわからないスープをぐつぐつ煮ている画像があった。食欲も不振だった私にスイッチが入り、肉屋に行って、豚バラ塊肉と鶏胸肉を買って、冷蔵庫に残ってた野菜とぐつぐつ煮ている。豚はバラが安かったのと、その脂多過ぎるから鶏の方は胸にした。一緒にスープにしたことはない。アクを掬い終わり、今煮込みながら日記を書いている。とても心が落ち着いている。首も肩も背中も凝って痛かったのも治った気がする。

  6. イネ科の花粉症があるというのを知りここのところの体調不良の原因はこれかもしれないと思うが、だからといって耳鼻科に行ってアレルギー検査をしようとまでは思わない。

    何らかの不調がある場合、社会では自分自身でそれらについて十二分に把握し対策を講じるように求められるが、これまでの人生においてわたしはこのあたりについてはかなりいい加減に過ごしてきた。そして、それでやり過ごせていた。

    人と、特に親と暮らしているとこうした微妙な不調についてもいちいち心配されることがあり、それへの対応を面倒に思う。ひとりだとちょっとした塩梅でやり過ごせることに対してのやり過ごす時間や空間を与えてもらえない感じ。

    野球の情報をタイムラインで追わなくなって幾分か健康になった気がする。長いゴールデンウィークも明日で一段落だ。

  7. 昨晩はちょっとしたアクシデントで実家に泊まった。老齢の父と久しぶりに再会したのは朝の食卓。「あら来ていたの?」と昨日今日の予定もおぼつかない意識で新鮮な驚きを見せたあと、お箸でちびちび昨晩の残りだというサラダのレタスやピーマンやトマトをお茶碗のご飯の上に乗せている。そこにシャケ瓶のほぐされた鮭を乗せ、崩した梅干しや糠漬けのきゅうりも乗せて、しまいには味噌汁の豆腐をすくって乗せて、箸で弱く小刻みにちょめちょめと具とご飯を馴染ませている。前から猫まんまのようなご飯を食べるのが好きだった父だが、髪が本当の意味で真っ白になり、ふわふわと光って、背が曲がったその姿は、老人というより老猫みたいだった。

  8. ずいぶん長いあいだ昼夜の逆転した生活を送っているせいで、昨日と今日の境目がなくなるような感覚はしばらく味わっていなかったのだが、徹夜をしたらその感覚が久々によみがえって不思議な気持ちになった。
    徹夜をすると酸素が薄くなるのかすぐに息が切れてしまうし、安静にしていても呼吸が浅い気がする。今日=明日はちゃんと寝よう。

  9. いま住んでいるワンルームで一年の間に水回りのトラブルが多発したせいか水関連の悪夢ばかり想定してしまう。上の板が崩れ落ちて上階から水がドバっと流れ込んでくるとかそういった類の。同じくワンルームで暮らす兄はタオルを火の回りに置いていてタオルを焦がしたと笑っていたが、兄は兄で火の回りの悪夢を見るのだろうか。

    まあでもドバっと一気に崩れ去ってしまえばまだマシで管理会社に報告するには微妙な水漏れがトイレから風呂場から排水管から同時多発的に起こっているのが現実だ。先日、知人に「ぼくらが生まれてから今が確実に一番酷い世の中だ。」と話したら知人はあっけらかんと「いや、そんなことない。」と応えた。

  10. 体調不良の原因を考えていて野球の情報の過剰摂取というのに行き着いた。

    プロ野球も近年はわたしが子供の頃の現役選手がYou Tubeをやっていたりパ・リーグTVというサイト・チャンネルが切り抜き映像やハイライト映像をすぐに纏めて出してくれる。タイムラインでフォローしているとリアルタイムで試合を見ていなくてもホームランやナイスピッチング、ファインプレーなどが2分20秒以内の動画として流れてくる。わたしはそれをもはや動画という感覚もなくあたかも画像写真を拡大するようにクリックしていてひと場面見る。

    中学の頃、住んでいた府営住宅にまだ黎明期のケーブルテレビの回線が通ってプロ野球12球団の試合が観れた。わたしは平日の夜や土日の昼間なんかに同時に行われている複数の試合を次から次へチャンネルを上下させて眺めていた。

    しばらくタイムラインで野球の情報は見ない。

  11. 今朝は、尊敬している作家から、今度アトリエに制作の様子を見に来なさい。本もたくさんあります。という短いInstagramのメッセージを貰った夢を見た。この手の夢は糠喜びだし、目覚めたときにがっかりするのが常なのに、今朝はとても落ち着いていて、その夢を嬉しく受けとった。何が違うのかわからないけれど、素直に嬉しく受け取った。

  12. 自分の作品に価格をつけるのは難しい。ほんとうのところをいうと無料でもかまわないのだけど、自分の思う無料と受け手の思う無料とでは必ず隔たりがあってその隔たり分を価格に反映させた。とはいえ、それはあくまでもわたし側から見た隔たりに過ぎないけれど。

    銀行の数百円の手数料を高く思ったり、そう思った人が言うこれでなんか買えたのに、みたいな気持ちがわたしは苦手というか、全然ピンとこないのだけど、一方で匿名配送に掛かるコストは高いなと思ってしまう。

    要は、自分の思う塩梅と他人の思う塩梅とのズレの問題だが、厄介なのはここに世間体の塩梅のようなものを想定してしまうことだ。そうすることで結果的に必要以上に毅然としていないといけなくなったりしてしまう。数字や行為、結果の過程で動いているように見える集団感情に疲れてしまった。明日からまたクリアな気持ちで創作へ向かいたい。

  13. 友人が10年日記帳を書き終えて、新しいのは5年にしたと昨日Facebookに書いていた。凄いなと思った。私も以前、生協の個人宅配のカタログに赤い5年日記帳が載ってて、買ってみたけれど続かなかった。
    母は普通の大学ノート左端に一本縦線を入れて1ヶ月分の日付を記入し、見開きでノートを横断する一行日記を書いていた。
    私は中学時代に、小学校からの仲良しと交換日記をしていた。毎朝待ち合わせて登校する時に受け渡しをしていた。〇〇先輩がカッコいいだの、誰が好きだの恋に憧れてるごっこみたいな内容だったと思う。
    高校大学くらいの頃には、PTSD又は神経症みたいになって、溢れ出る感情を小さなクロッキー帳に書き綴るような誰にも見せられないものを書き溜めていた。掃き溜めのような日記で、感情の処理作業であって読み直すことはなかった。書いていくうちに連想作用でいつも同じドツボにハマるような道筋で絶望的な心持ちになるも、泣いて気持ちを落ちつかせ眠ることができるための作業といったものだった。
    交換日記もその掃き溜めのノートも屋根裏部屋にしまったまま家を出て、家が破産して親が引越す頃には、私は乳飲み子を抱えて離れて住んでいたので、母が片付けきれなかった家財と一緒に引越し業者が処分したと思う。
    この匿名で、誰かが読むかもという場所に何を書くのかよくわからないまままた書いてしまっている。この頃は、勿論感情的だったり気分の問題に悩まされることはあるけれど、それなりに対処できるし、普段自分が書きたくなって書くものは、もっとプライベートでありながら、意外と私から離れたアノニマスな内容だったりする。ここでは匿名だということがやっぱり、もっと普段吐露できないものを吐露してしまいたい欲望に駆られたり、でもそれでは元も子もないなとも思う。気軽に書けるような特別な状態を迎えたい。

  14. フロントガラスの右上に小さな虫の死骸が蜘蛛の巣に絡まっているのが見えた。この小さな虫の名前は分からないが、かれこれ数週間こうして垂れ下がっている。携帯をいじって好きな曲のライブ映像を、わざわざYouTubeで検索してかけた。
    携帯を見ながら車を運転することはダメだとされているが、コツさえ掴めば全く問題ない。お陰様で免許を取ってから一度も事故を起こしたことがないし、これからも無事故でいくつもりだ。僕はまだオカマを掘られたことだってない。これからも掘られるつもりはないし、掘るつもりもない。携帯を触ることよりこわいことなんていくらでもある。ふとした瞬間、気が抜けたとき、緊張感が損なわれたときに事故は起こる。それにさえ注意を払っていれば事故は起こらないはずだ。とか、こんなことを考えている人がおじいさんになったときに呆けて人を轢くのだろうか。
    窓をあけると風が入ってきて、蜘蛛の巣がなびく。まるでまだ生きているかのように羽が動くので、一瞬焦って目を凝らす。死んでいる。やはり死骸だ。
    羽の形状がそうさせるのかもしれないが、風によってゆっくりと動く羽の挙動がとても不気味で気持ち悪い。そう思った途端、風によってその死骸がバラバラになって、僕の、ハンドルを握っている腕にパラパラと落ちてきやしないかと不安になってしまった。窓を閉めると、車内が暑くなった。クーラーをつけて、ガソリンメーターをちらっと見る。虫はダメだ。

    前を走る白の軽が遅い。法定速度60キロの道路を40キロで走っている。はよいかんかい、お前絶対おっさんやろ、などと思い、はよいかんかい、と言う。そういえば、この前駅から車を出す時に、駐車券を入れようと窓を開けると緑色の蜘蛛が垂れ下がってきてびっくりしたのを思い出した。
    僕は虫が大の苦手で、それは、そうYouTubeのハチの動画を見たときのこと。確かグラビアアイドルだかなんだかが、木の下で撮影をしていて、その最中に蜂が舞って邪魔なものだから、その木を足で蹴った瞬間、大量の蜂がそのグラビアアイドルに襲いかかり、追いかけ回り、刺しまくり、結果グラビアアイドルのパンパンに腫れあがった顔がドアップで映し出されるというホラー動画だった。あれを見て以来、僕は虫が無理になったのだ。
    駐車券をうまく使って、緑色に触らないようにするが、蜘蛛の巣が絡まって、うまく外に追い出せなかった。焦って動きが早くなる蜘蛛を見て、まるで今の自分を見ているかのような気になって、手の震えが止まった。やっとの思いで外にその蜘蛛を追い出せたとき、僕は、すこしさみしい気持ちになった。

    おっさんはよいかんかい。お前携帯見とるやろ、などと思い、携帯みとるやろ、と言う。いい曲だ。この曲は覚えようと気持ちよく歌っていると、前の車の色がピンクになっていた。そうか、さっき僕が左折したんだ。おっさん、おっさんとか言ってごめんな、などと思い、車を走らせた。

  15. 部屋に長く居ると埃とはあのグレーの湿っぽいものでしかないけれど、いま読んでいるカポーティの『冷血』に「砂埃」という語彙が何度か出てきてそれこそ砂埃が舞うように埃という言葉が動き出す(部屋の埃は基本的に滞留しているものなので)。今日明日できのう三本セットで買った茄子を一本ずつ使って三食食べる予定の反動で晩御飯にセブンイレブンのチキン南蛮弁当を買ってしまった。空腹になると明らかに判断力が緩むのがわかる。

  16. 二週間ぐらい前だったか目の前の空気に〈木香薔薇〉という言葉がぴったりとあってそのまま今日まで執着していた。執着していたのだが、木香薔薇というイメージに肉付けをすればするほど反対に木香薔薇という言葉が浮いてしまうような事態になった。今日は朝から思っていたよりもずっと雨でようやく今からスーパーへ買い物へ向かう。夜はナイター中継がある。さっきテレビをつけて解説を確認したら江川卓、工藤公康、赤星憲広の三人だった。ゴールデンウィーク初日とはいえペナントレースのなんでもない一試合に解説三人は多いが、日本テレビもいろいろと大変なのだろう(数年前に名だたる解説者を集めて結果を予想させ的中率が低い者から順に画面上から消していく企画は流石に品がなかったが)。わたしが木香薔薇に見たものは黄砂だったのかもしれない。

  17. 視力がさらに悪くなり、遠景と中景と近景用の眼鏡が必要だけど、今日は中近景用しか持ち合わせていなかった。眼鏡をかけてもかけなくても違うようによく見えない。私からはよく見えてなくても向こうからは見えているだろうから、もはや私はここに居るというだけの存在になった気分。
    演奏を途中で諦めてしまう子がいて、それは単にやる気がないということではなくて、もっと根の深いものがあるのだろうととても気になった。
    帰りにホームセンターに行ってある目的に合う金具を探した。具体的な製品ではなく、その用途にちょうど良さそうなものを探しているので、売り場の棚の列を端から舐めるように見て回る。ひと通り見て回って使えそうなものは無かった。この頃色々とついてない気がしていて逆に、それほど落ち込まず、何の気になしに来た道を反対側からもう一度時間をかけて辿ってみる。見た筈の棚に使えるものを発見。単に見落としていた訳ではなくて、探しているうちに探している何かが、使用可能性を帯びた具体的なかたちのイメージをいくつか用意できたから見つけられたんだろうなと思う。

  18. あまりにお金がなくて夕方、ベランダでまわしている洗濯機の脱水中に床に直置きしている本の山から週末に売りに行く本を十冊ほどピックアップした。今年に入ってからすでに二回はまとまった数の本を手放している。自分がかかわっていると自認しているジャンル以外の本から手放すようになっていてこういう所も余裕のなさなのだろうか。新刊を買ったばかりの『違国日記』も既刊全巻セットで手放すつもりだったが読み返したら思いのほか面白く一旦保留に。余裕がないからか阪神中日戦のナイター中継はせっかく田尾安志が解説だったのに集中して観れなかった。週末は巨人との三連戦だ。と、巨人ファンなのに阪神目線で書いてみる。

  19. 断片的な印象の束だったり、その都度広げた風呂敷の上に自分も乗ってて、並べた玩具に糸を張り巡らせるみたいな事の繰り返しばかりだという実感が確かにあって、そんな風にずっと過ごしてきたからずっと不安なんだなと思ったり、それでも大丈夫だなと引き受けたり。今朝はそんな話を家人にした。
    映画『メッセージ』の断片的で偏在的な時間の描写を、未来が決定づけられている運命論的に受け取った人の話を数日前に聞いて、あれ、全然そんな印象を私は持たなかったのは何でだろうって考えていた。時間をつないで一本道にして評価すれば、ただひとつのコンテンツでしかないように思えてしまうかもしれないけれど、それぞれの時間を質として過ごせば、つまりこの場合だと運命を受け入れて生きることは、自由意志がないと嘆くことではなくて、寧ろ主体的に生きることになるのではないかと、彼女はそうしたように見えた。内容を変えることだけが抵抗ではないよなと。
    私の見る夢は短いことが多くて、職員室みたいな部屋に入ると、「先生の美術は危険ですね!」と言われて驚いて、「そうですよ〜危険ですよ〜」と笑って答えただけだった。

  20. 去年の今頃は毎日日記をつけていたのだっけ?毎日散歩に出ていたのだっけか、もう思い出せない。でも、去年の春はよく外に出て、河原の土手を歩いていたので、日々草木の変化と並走できていた実感があって、気持ちが落ち着いていた。刻々と生える植物の様子や勢力図が変化するから、担当している週一回の美術クラブで絵を描くモチーフに、毎週1種類づつ草花を抜いて持っていこうと冬に思いついて、河川敷管理事務所にそのような利用の為に採集しても良いかと問い合わせたりしたのだけれど、未だ土手に近づけていない。
    待ち侘びた春だった筈なのに、忙しなく過ごして、心が置いていかれそう。
    今日は郵便局まで歩いた。

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