試しに掲示板を作ってみました。コメント欄から自由に書き込んでください。ルールはひとつだけで、本名、ペンネームやSNSのアカウント名など、他の場所で用いている名前を使用することを禁止します。ここだけの通り名を考えてください。僕はホストなので自分の名前でやります。それもどうかなと思うのですが、まあとりあえずやってみます。
↓追記(2021年4月24日)
- リプライ機能を付けるためにスレッドの階層をひとつ増やしました。リプライにリプライするときは元のコメントの「Reply」をクリックしてコメントすればスレッドの最後に自分の書いたものが表示されます。コメントする相手の名前を冒頭に書いてください。
- コメント欄ではアドレスやサイトURLの枠がありますが、名前とコメントだけ書いてください。
福尾さん、お名前をいきなり書き出しから間違えてしまいました。大変申し訳ありません。
このままにしておくのは忍びないので、削除をお願いできませんでしょうか。
重ねて申し訳ありません。
>白平さん
ぜんぜんお気になさらず!僕も言われて気づいたくらいなので。40年前の哲学科、活気があって楽しそうですね。ご面倒おかけしますがもしやっぱり消してほしいいうことであれば改めてお伝えください。
ありがとうございます。
恐れ入ります。
お言葉に甘えてそのままにさせて頂きたいと思います。
重ねて失礼をいたしました。
福野さんの日記の「40年前」を読んでふと思い出したので調べてみたら、『シモーヌ・ド・ボーヴォワール 自身を語る』というドキュメンタリー映画が1980年に公開されてました(サルトルも当然のように出ています)。
ベルクソンやってた先輩とかヴィトゲンシュタインやってた同期とか、それこそボーヴォワールを読んでた後輩女性とか同科の連中と街の映画館に見に行った記憶があります。
内容についてはもう忘れきってしまっていますが、当時はなんか面倒くさい人だな、とかこの人いなきゃサルトルとメルロ=ポンティは揉めなかったんじゃないかとか、些か的外れなことを思いながら見てたような気がします。実存主義などは、既に最先端ではないにしろまだ語られていたように思います。
もしかしたら記憶を捏造している可能性もありますが、そんなような頃だったように思います。
6/29の私の日記、メッセージのやり取りの返信部分がほぼその人の言葉なので気になって、投稿前に一応許可取りました。「匿名の日記掲示板に載せてもいい?」と聞いたら、ここのこと知らない彼女からは「なんだそれ」「いいよ」と返ってきました。
言葉を人に見てもらいたくなって、久しぶりにここに書きこみました。ここは居心地がよくて、わたしもわたしの方法で、こんな場所をつくれたらなと思ったりします。
kirokuさん、「半分外」について返してくださりありがとうございました。店名ではないのですね、
そういえば京都に「外」っていうお店(というかライブハウス)があったなぁと思い出しました
こちらこそ、反応ありがとうございます。
「外」のこと知らなくて調べてみたのですが、作品展示っぽい要素もあり楽しそうなところですね。かっこよさそうなDJの人を見つけて、今聞いてみています。教えてくださり感謝です。
魚へんに参で、アジなんですね。
また読みにきまーす。
久しぶりに日記掲示板に書き込みをしました。また来ます。ずいぶん遅くなってしまいましたが、福尾さん誕生日おめでとうございます。素敵な一年になりますよう。
>なるふでさん
ありがとうございます!気が向いたらいつでも書いてください。
(間違えて日記掲示板の方に書いてしまいましたので福尾さん削除願います)日記掲示板の更新こっそりといつも楽しみにしています。
>Handy mesh pouch
削除しておきました!自分で消せないの不便ですね……
福尾さん、日付をまたいでしまいましたが、お誕生日おめでとうございました。
日記も100日を超えてすごい量になっていますね。最近だと、夢ではマスクの人が出てこない話と犬の話が印象的でした。
>kirokuさん
ありがとうございます!引き続きがんばります。いつも日記読んでいますよ。
共感?
この日記掲示板に書いているうちの誰がそんな下卑たものを求めているというのか。
まあ、SNSで的外れな批判をした人間は有無を言わさず最下層の地獄に落ちると先日聞いたので、御愁傷様です。
>福尾さん
なんとかなっていて、よかったです!
とても気が早いですが、3つの原稿がそれぞれにひらかれて何処かで読めるようになるときを楽しみにしたいです。
3つの原稿の〆切が他人事ながら気になっております。ぶじ間に合いますように勝手ながら念じている今日です。
>さかしまさん
よく覚えてらっしゃいますね!まさに結構ヤバいんですが、ひとつ終わらせていて、もうひとつは1週間締め切りが延びて、もうひとつはもともと月末締め切り「目安」だったのでなんとかなるかなという状況です。ともあれどうもありがとうございます。おかげさまで気持ちも切り替えられそうです。
1週間以内にDieしてくれと言われた。
その通りにしないといけない。
少し日が空いて、書くのをやめようかとも思ったけど、また何にもならない文章を日記と称して書いてしまった。
しかもどんどん長くなっている。
回覧板にだって、俺の文章よりはずっと書かれるべき内容が書いてあるだろう。
俺は俺が恥ずかしい。
面白い日記見つけました。わかるとわからないが混在。また読みにきます。
>isaさん
お気遣いいただきどうもありがとうございます。気になさることないですよ。いつも日記読んでいます。
>てつなひさん
おっしゃっていることは大方その通りだと思います。ただ「自分の近くにある言葉(凝り)をかわいがろう」ということではなくて、日記の最後に凝りに「しがみつくことはそれを肯定することではない」と書いたように、つねに引き算する意識をもつことによって凝りに敏感になれて、さらにその凝りが勝手に遷移することを面白がれる、面白がろうということです。
自分の日記を書いた後に福尾さんの日記を読みました。
なんともいえない、なんともいえない気持ちになりました。
気にしすぎかもしれません。
5月23日の日記冒頭にあらわれる「文体は無ければ無い方がいい」は少し立ち止まる表現でした。文体は文章が与える印象の意味だと感じます。しかし文体が無いは印象が無いとは言い換えられそうにありません。読み手に印象を持つな!と言ってもききません。文章ひく凝りという否定的な定義をされているので、文体イコール何とも簡単には言えません。
読みすすめていくと、文体は単に話の導入であって、結局、勝手に出てきてしまうくらい自分の近くにある言葉(凝り)をかわいがろうということなのかなと解釈しました。福尾さんが文体と呼んだところに僕ならどんな言葉を充てるだろうとしばらく考えてみましたが、納得のいくものは出てきませんでした。
ところで、会話のあいだ耳を研ぎ澄ませ、相手が使う言葉(とそこに含意するもの)を読んで真似して使おうとすると、すごく疲れます。僕には難しいことです。そのなかで文体には不断の読みマラソンの休憩地点、あるいは手すりのような効果がある気がします。「文体は無ければ無い方がいい」と仰る根底には、読み手の体力への強い信頼があるのかなと思いました。
俺もこんな日記を、他の人から見えるところに書き込んで、何をしているんだろうか。
しかも書くたびに、前の奥さんのことを思い出して、傷つきたいんだろうか、それとも。
でも、書かずにはいられない。